gofujita notes

on freewritings

フリーライティングについて考えたことを、かいていく場所です


はじまりのフリーライティング

プロローグ

たとえば夜中に目が覚めて、締め切りがすぐそこに迫った仕事や約束のことが、気になって気になって、眠れなくなったことはありませんか。あるいは、追われている仕事のことで頭がいっぱいになり、楽しいはずの旅行先で、目の前にいる奥さんとの会話は上の空、仕事の段取りばかり考えてしまったことはありませんか。

ぼくは、自分自身の経験から、そういったあなたにフリーライティング freewriting をすすめたいと思っています。フリーライティングとは、たとえば10分か20分、あらかじめ決めておいた時間、とにかく書きつづけるプロセスを指します。

フリーライティングすることで、自分の頭や心の中にあるものを、文章という形あるものに変換できます。その作業が、あなたの取り組んでいる文章、レポートやブログの記事、エッセイ、小説、論文や専門書などの原稿を書き進めるためのエンジンになります。

しかし、フリーライティングの魅力は、それだけではありません。頭の中にあるものを文章という目に見える情報、しかも、すぐに消えてしまわない安定した情報に変換することで、あなたが今、気になって仕方ないことを眺めたり、分解したり、組み合わせたり、書き足したり、削ったりしながら、再構築できるようになります。その結果、あなた自身の手によって、気になって仕方なかったことに囚われすぎずに、次の一歩を踏み出す手助けになります。

たとえばぼくの場合、朝、うちを出て駅に向かう途中、ただ歩いているだけなのに、頭の上に青い空があるだけで、なんだか嬉しい気持ちになることがあります。靴底から伝わってくる地面の感覚が、たまらなく楽しいときもあります。ずっと先にあるサクラの木がだんだんと近づいてきて、やがて後ろに流れていく、それをみるだけでワクワクするときがあります。フリーライティングを続けることで、こういった瞬間の大切さを自然に感じることが増えました。

フリーライティングすることは、ぼくにとって間違いなくプラスになっています。それは、自分の文章が蓄積されていくだけでなく、あるいは、自分のライフワークや生活のための考えが育つだけでなく、もっと心の部分の安定というか、満足感のようなものにも関係しています。

ぼくが本格的なフリーライティングを始めたのは、5年前の秋でした。最初はもっと肩肘張って、何かを自分のものにしたい、と思いながら始めたことを覚えています。そのせいか、やり方もフリー (自由) なライティングであるにも関わらず、杓子定規に、形や道具にこだわり過ぎていたように思います。たとえば、「フリーライティングは毎日やろう。だからスマートフォンひとつで、いつでも書いたり、どこでも読み直したり、自由に編集したりできる環境をつくろう。そのためのアプリケーションは**だ!」といった感じです。

5年間フリーライティングを続けた今は、かなり肩の力が抜けました。そして、毎日書くという義務はなくして、書きたいときに書く時間があれば、書くことにしています。その方がずっと楽しいですし、ぼくにとっては効果も大きいことを知ったからです。

フリーライティングは、あくまでも自由であるべき、と考えています。「自由」と書いておきながら、そのすぐうしろに「..であるべき」と書いているところが、大きな矛盾ですね。そう分かっていて、わざと書いてみました。要は、バランスなのだと思っています。

これから少しのあいだ、そのバランスをとるために、ぼくが使っているささやかな工夫をいくつか紹介していきます。フリーライティングについての小さな連載です。連載といっても、毎週続くわけではありません。これまた、少し「自由」な感じで、書いていく予定です。