gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


Scientia Potentia Est

大衆の反逆』の感想、三回目です。

今回は、6章から13章まで。いよいよ、大衆の反逆とは何か、その本題に入ります。そこには 大衆の特徴が深く関わっている、というアイディアが力強く説明されています。

大衆の反逆とは、大衆が自己満足してしまい、歴史的に最高の高みにあると言っていい豊かな生活を支える社会システムとテクノロジーを、消費するだけの生活を送るようになってしまったこと。

消費する生活が、なぜ反逆なのか。社会システムとテクノロジーを破壊する可能性を大きくしているから。

おさらいになりますが、大衆とは、社会を大部分を構成するぼくたち平均的な人々を指します。

豊かな生活とは、ぼくたちひとりひとりが、日々の生活の中で感じる選択肢の可能性がとても広いことを意味します。

そして、ここで言う社会システムは、自由主義的デモクラシーのこと。以降は短く、自由主義と呼ぶことにします。

自由主義は、まだ自信ありませんが、1920年代にイギリスやフランスに見られた社会システムで、おそらくたとえば、現代の日本のシステムも含まれると予想しています。

これらの章をとおして、ガセットは繰り返し、こう主張します。

自由主義とテクノロジーを維持するためには、多くの才能と努力が必要である。

しかし、これらの恩恵の中で生まれ育ったぼくたち大衆は、自由主義やテクノロジーがあたかも自然にできあがり、放っておいても進歩するものだとつい勘違いしてしまう。

自由主義とテクノロジーの恩恵で得た豊かな選択肢を、あたかも自分に本来備わったものと考えてしまい、社会からの声に聞く耳をもたなくなり、自分の中に閉じこもってしまう。

たとえば、自由主義の中で、社会的権力は最高の権威をもちながら、自分を犠牲にしてまでして自由な空間を残そうとしてきた。しかし現代の大衆には、この寛大さがない。

あるいはたとえば、思想をもとうと思う人は、手にした情報、そこから自分が理解したことの真偽をつねにテストする姿勢をもつようになる。しかし現代の大衆には、この思想をもとうとする意志がない。

大衆が権力を担う社会は、ヨーロッパで19世紀の革命をとおして誕生した。自由主義とテクノロジーの起源はより古いが、19世紀に大いに発展し、その結果、人口も増え大衆が誕生した。

こうした大衆の特徴には、人の活動の大いなる成果である自由主義とテクノロジーを、根本から破壊する可能性も孕んでいる。

先の記事にも書きましたが、この大衆の反逆は、ガセットがこの本を著した20世紀初頭のヨーロッパだけでなく、現代社会に、少なくとも一部は当てはめることができると、改めて実感しています。

ぼくたち大衆が、日々の生活の中でどう選択肢を選ぶのか、その注意事項として役立つメッセージと感じています。

とくに12章「専門主義の野蛮」に書かれている内容に興味をもちました。その要点をぼくなりに書き下ろすと、こうなります。

  • テクノロジーを支えているのは科学。その発展のためには、科学者の専門化が必要だった。科学そのものは専門主義ではない。専門化は、科学自体ではなく、科学者の問題だった。
  • 科学者は自分では知らない問題に対しても、知者としてふるまう。これが専門家のふるまいであり、そこから問題が生まれる。
  • 現代の科学者は大衆化した人間の典型である。この特徴は科学者に限らず、現代を生きる多くの人々に見られる。これこそが、大衆の反逆を生み出す要因である。

ぼくたち大衆は、この豊かな社会を支えるシステムを維持するために、(広い意味で)専門化してきました。

しかし、それが結果的に、ガセットが警告する大衆の反逆が生じる可能性を高めているというアイディアです。

とすると、ぼくたち大衆が、彼のメッセージから学ぶべき大切な要素も、少し見えてきた気がします。

  • 自分の知っていることと知らないことを区別できるようになる。
  • 自分の知らないことについては知らない者としてふるまう。

言うまでもなく、日々の生活の中で出会う出来事について自分が知らないことを知るのは、たいへん難しい作業です。

一見何も知らないと感じる問題についても、落ち着いて振り返れば多くのことを知っていることに気づきます。ではよく知っているかと思って行動すると、知らないこともたくさん出てきます。

そして、そんな中で知っていることと知らないことを踏まえて、自分の行動を決めることなどどうやってできるのだろうと、つい知らないふりをしたくなります。

でもだからこそ、この二つを実践できるようにする技術を、本気で学ぶべきではないか。

ガセットの熱い文章を読みながら、そう実感しています。