gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


友人の幸福を自分のものにする

 カフェ・シリーズ、その3。カフェは、同じ研究分野の人たちが情報交換する場、つまり学会の大会に参加しているあいだにも、大切な場所になる。

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 学会の大会は、学会のメンバーが年に1回、それまで1年から数年間の自分の研究の成果を発表しあう場所。たくさんのお金と人と労力を注ぎ込んだ研究プロジェクトの成果もあれば、「こんなこと思いついたんだけど、おもしろそうでしょ」っていうような、気軽な成果もあったりする。

 学会によって雰囲気はだいぶちがうけど、ぼくがよく参加する大会は、200人から1,500人ほどの規模。普段着かフォーマルなフィールドワーカーの格好 (つまり野外で着る服そのまま) で発表するような人たちの集まり。スーツにネクタイの人もいるけれど、夏や秋の学会だと、お気に入りのTシャツにサンダルという人も少なくない。ぼくはもちろんTシャツ派。

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 学会のメンバーになる理由にはいろいろあるけれど、大切なひとつは、やはり情報交換のためだろう。学会の大会に参加すれば、その学会メンバーの最新の成果に触れることができるし、自分の最新成果を公開できる。

 新しい情報入手の手段として、学会発表以外に学術論文や本もある。でも、手にする情報の新鮮さは、学会発表がダントツで新しい。論文の場合、ぼくの分野だと半年から2年くらいの遅れがあり、本だとさらに時間がかかり、最初の成果から3-5年ほど遅れた情報になるだろうか。だから学会に参加してアンテナを張り巡らせることは、鮮度の高い情報を手にいれるために、大切な役割を担っている。

 発表形式は、口頭発表やポスター発表がベースで、それにシンポジウムやラウンドテーブルといった、とくていのテーマに関係する複数の口頭発表をまとめた集まりもある。口頭発表は、スライドで10分前後発表というしばりがある場合がほとんどで、個人的には少しつまらない。ポスター発表は、A0用紙の範囲に収まれば、手書きでも紙芝居でも、絵が動くのでも立体でも、そのスペースを自由に使える。聞きにくる人とも直接話ができるし、どちらかというとこちらが好み。

 でも、もっと楽しいのは、シンポジウムやラウンドテーブル。企画する場合には、自分が大切と思っている問いや手法の意義を、自分だけでなく何人かの賛同者のアイディアと組み合わせてプレゼンできる。参加する場合も、そういった企画者のいろんなアイディアを系統的に知ることができる。

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 発表をサボるのも、実は結構大切。休憩室へぶらっと行って、最近おもしろい論文を書いた人をみつけて直接話したり、以前から気の合う人とゆっくり話したりするのも、大事なイベント。休憩室に限らず、たとえばポスター会場で、自分のポスターそっちのけで1時間くらい話すこともある。そこで、情報をもらうだけではなくて、自分がもってきた情報などがきっかけで議論が進み、相手ともども新しいアイディアを手にしたときなどは、もうそれだけで学会に来た目的が達成した感じ。

 こういった学会の大会は、いろんな地域の研究者グループが、もちまわりで実施する。手伝った学生にはアルバイト代が出たりするけど、企画運営する人たちは原則ボランティア。会場を用意しやすい大学や大きな博物館などのメンバーや、その地域にくらす他のメンバーが運営委員会みたいなものをつくって、1年くらい前から準備を進める。去年は神戸、今年は札幌、といった感じでいろんな場所を訪れることができるのも、大会に参加する楽しみのひとつ。

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 で、本題のカフェのお話し。

 会場になる街につくと、荷物を置いた宿から会場へ移動しながら、途中にあるカフェを見つけておく。ぼくは、カフェというよりも、珈琲屋という雰囲気の店を探す。だれも珈琲屋の定義なんかしてないと思うけど、珈琲が好きそうな人がやってそうなお店のこと。

 大会初日は、夕方6時すぎからラウンドテーブルなどの気軽な発表から始まることが多いので、時間のあるときは、その珈琲屋へ行ってみる。中に入ると珈琲の香りにボサノヴァか古めのブルーズが流れていればオーケー。で、やはりまずは、珈琲やエスプレッソの腕前を拝見。

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 学会では、久しぶりに会う知人や友人がいて、その顔をみるだけでも、ここに来てよかったなと思うことも多い。

 でもその反面、正直に言うと、しんどい気持ちになることもある。Aさんの論文がとてもメジャーな雑誌に掲載されたとか、Bのヤローが名誉ある賞をもらったとか、単発の話しなら自然に喜んでいられるけど、内心ライバルと思っている友人たちから、立てつづけにそんな話しを聞くと、なんて言えばいいのか、ジャブを連続で受けつづけた感じ。笑顔も不自然になってくるのが分かる (そういうとき、自分のひきつった笑顔を想像すると本気で笑っちゃえるというのは、おっさんになる段階で会得したライフハック?)。

 おっさんの経験からすると、大会は3-4日以上つづくことが多いから、そのままの状態で過ごすと、なんと言えばいいのか、最後にはやはりヘトヘトになることが多い。それでも楽しいことは楽しいのだけれど、精神的にくたびれてしまうので、何とかしたいなと、いろいろ策を考えていた。

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 で、今のところの答えが、珈琲屋。ジャブが効いてるなと感じたら、隙をみつけて珈琲屋へ行き、30分か1時間くらい、何もしない時間をとる。深呼吸して、珈琲の香りを楽しんで、珈琲の色を味わって、珈琲の味を満喫する。

 どうすればいいか、答えなど出さなくていい。とにかく、無理に頭を働かせないこと、考えの渦から自分を解放してあげること、ぐるぐる何かを考えている自分を眺めるような、観察するような心もちにしてあげるために、時間をとる。

 落ち着いたら、フリーライティングするのもいい。しばらく経ったのに落ち着かない場合にも、フリーライティングするのがいい。自分の生活のアウトラインを読んだり、リライティングしたり。頭に浮かぶことを、新しくフリーライティングしたり。そうするうちに、お腹のあたりから元気がでてくる。ライバルの昇進や栄誉を、心から褒め称えたくなってくるし、自分は自分の仕事をしようと自然に思うことができる。

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 珈琲屋でなくて、大きな自然がみえる場所もいいけど、学会の会場のそばにそんな場所を見つけることは、おいしい珈琲屋を探すよりも100万倍難しい。だから、いい香りの珈琲かエスプレッソ2杯くらいが、ほどよい妥協点かなと思っている。

 これは、度量の小さいぼくのようなおっさんが、自分を騙すでも無理やり励ますでもなく、友人たちの幸福を心から祝福できるようになるための、小さな知的生産の技術。まぁ、ありきたりのことなんだけど、意識的にやるようになってから、友人の幸せを喜べるのがどれほど爽快で大切なことなのか、少しだけ分かった気がする。

 これはたぶん、小さなことではない。