on outline processing, writing, and human activities for nature
いつになってもこれは苦手、というものがある。
好きなフィールドで、ひとりの調査が終わる最後の日もそのひとつ。正確には、前日の午後あたりからドキドキし始める。
NGO で仕事していた頃から、調査のために1−2週間くらいひとりでフィールドに滞在することが多かった。だからもう何10年も、同じような旅をしてきたことになる。にもかかわらず、やっぱりこのドキドキは治らない。
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出発するまでにしておきたい、本当に自分がやりたい作業と、お金をもらっている立場でやらなければいけない作業が、新幹線や飛行機、船の時刻表といっしょに頭の中を駆け巡る。
仕事術やタスク管理などの話しは好きな方なので、そういった形でのこのドキドキ対策は、自分なりにはできるだけやってきた。もちろん、皆さんに比べると、まだまだとは思うのだけど..。
たとえば、To-do (to-be) リストをつくり、それぞれのタスクにかかる時間も (そのばらつきのパターンまで) 測ってある。優先順位の基準も、できるだけダイナミックに変化できるようつくったつもり。その所要時間のデータとダイナミック優先順位をもとに、余裕をもった形でタスクを按配し、アクシデントのひとつやふたつ (これも、かなりいろんなことを経験した) 起こっても予定の新幹線や飛行機に乗ることができるよう、段取りしてある。
(そして、この作業を進める上で、アウトライナーにお世話になっていることは言うまでもない.. 笑)。
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で、この対策で解決できるものと解決できないもの、2種類のドキドキがあることに気づいた。ぼくは、これを意識できるようになるまでに、かなり時間がかかった。To-do (to-be) リストの作業を終えた満足感が、未解決のドキドキを隠してしまうからだ。
この未解決のドキドキは、たとえば、知り合った人たちのもとを去る、あるいはこの好きな風景をもう見れなくなるという寂しいような気持ち (しばらく来れないかもしれない) と、罪悪感のような気持ち (そのうち忘れてしまうかもしれない) が加わり、さらに家族のもとへ帰れるという嬉しい気持ち (あの顔とあの風景に会える) が、胸の底のあたりで混ざり合ったもの。
そのフィールドとそこにくらす人々に愛着を感じれば感じるほど、このドキドキは大きくなる。
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小学生の頃、祖父母の住む瀬戸内の島で、夏休みの大半を過ごすことが、よくあった。にぎやかなクマゼミの声が、細やかで何かを問いかけてくるようなツクツクホウシの声に変わり、毎日泳いだ磯にたくさんのクラゲが浮かぶようになる頃、光り輝く島の日々を終え、ここを去る準備をしなければならない。
そのときに感じたドキドキは、やさしい祖父と話しても、頼りがいある祖母に相談しても、ちっとも解決しなかった。
これを解決できるのは自分自身であり、この気持ちを乗り越えることができれば自分はオトナになるのだと、花崗岩を積み上げてつくられた波止に寝そべって、波の音を聞きながら考えたりした。
腹ばいになって波止から顔をだし、数メートル下の波打ち際をのぞくと、クサフグが岩の隙間をつついている。波の上下に体をまかせながら、何か食べてるらしい..。少し沖をみると、10センチ足らずの透明な体をした小さなイカが2匹、やはり波にゆられながら、浮かぶように泳いでいて、その半透明の影が海の底の砂に写っている。
そういった海の風景を見ているうちに少し元気になり、お腹が空いていることを思い出して、坂の上にある祖父母の家まで走って帰ったりした。
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さて。立派な (?) おっさんになった今、ただ年をとるだけでは、このドキドキを解決できないことも、身にしみるほどよくわかった。だから、無駄と思いながらも少し時間をとり、どうすればいいんだろうと考えたりする。
その成果と呼ぶには大げさだけど、目前の仕事とは直接関係しない、いやむしろ関係ないように見える作業の一部が、たまにだけど未解決ドキドキを少し小さくするタスクになることが、分かってきた。まだまだ、偶然見つけただけのことが多いけれど。
これを、ぼくは「上位階層の to-do (to-be) リスト」あるいは「my life synopses (生活のアウトライン)」と呼んでいる。
あと、もうひとつ。この未解決のドキドキをなくしてしまうのはもったいないんじゃないかと、えらそうに話してる自分の声にも気づいた。
好きな場所を旅したあの最後のドキドキは解決したりせず、大事にしてあげればいいんじゃないか、という声。
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このどちらもが、時間のかかる偶然や、おっさんならではのひらきなおった余裕みたいなものの成果であり、こういった蓄積ができるのが、オトナになるってことなのかなぁと考えたりした。
そうそう。ここに書いたことに気づかせてくれたのは、To-do (to-be) リストの一番上に書いたフリーライティングだったことも、ぜひ書いておきたい。1
日々のタスクリストや To-do (to-be) リストを短い箇条書に押し込んだりせず、主語と動詞のある文章でゆったりと書く効果は、決して小さくないのだ。