on outline processing, writing, and human activities for nature
うちあわせcast 88回をききました。
たまったアイディアメモを、分類せずにどう置いておけばいいか?という小田やかた @ottaka さんからの質問への2人の答え、理解できていないところもあるのですが、興味深くききました。
ぼくも大切な問題と思っています。で、これを機会に、ぼくがふだんやっていることを短く紹介します。
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倉下さんやTak.さんがいうように、文章にまとめる以外にもアイディアを生かす場はたくさんあります。
たとえば今のぼくの場合、仕事だと、野外でデータを集める調査や実験デザインの改良、集まったデータの解析デザイン、プログラミングでシミュレーションしたい問いやその計算のためのモデルのデザイン。
ふだんの生活に関係する部分だと、自分の車を乗りやすくする整備の方法、庭の草刈りを楽に早く終わらせる手のぬき方 (だって、夏だと毎日夕方草刈りしても間に合わないし、へとへとになる..)、近所の農家からいただいた夕顔という大きな実の料理の仕方..。
そういう解決したい自分の問いに出会ったら、その問いをアウトライナーに文章としてかき出し、その下に答えになりそうなこれまでのアイディアを、集めます。
このとき、集めたピースをみながら、さらに思いついたアイディアを文章としてかきます。時間がなければ、集めておいて、あとで文章にします。そうすることで、最初は関係ないと思っていたピースどうしが、新しいアイディアとしてひとつのピースになる機会が増えます。
そう捉えると、実際上、Tak.さんが『書くためのアウトライン・プロセッシング』で紹介した方法とある程度共通する〈カタチ〉でアイディアのピースを育てることができると、ぼくは考えています。
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それ以外のアイディアピースですが、今のところ、これはいいぞと思ったものには、文頭に▽印、文末に日付をつけて、notes/logs という大きな項目に放りこんでいます。その結果、そこには他の日々の雑多な記録と混ざりながら、アイディアのノートが日付順に並ぶことになります。
(この印をつけてとりあえず整理せずにアイディアをとっておくというやり方は、Tak.さんに倣いました)
そして、たまに notes/logs の▽についたアイディアのノートを検索あるいは手作業で集めて眺める時間をとります。ちょっと心に余裕ができたときや、珈琲飲んでひと息ついたときなどに、そうすることが多いでしょうか。
アイディアピースが思わぬ問いの答えになることもありますし、気づいていなかった新しい問いに育つこともあります。とくに後者、自分の問いをみつけることは、小さい幸福感というか満足感を日々の生活をとおして感じる上で、とても大切な効果をもつと思っています。
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日々出会うアイディアピースを、問いとその答えの案という大きな構造を意識しながら按配することで、アイディアを整理しながら、自分が直面している問題をとく答えの案をみつけたり、新しい好奇心を育てることもできる。
まだ多くの人に話したり意見をもらったりしたことのない、へなちょこなアイディアですが、いかがでしょうか。