gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


自分で考えることへの憧れ

 大学に入ってすぐ図書館をおとずれたぼくは、学術論文の量に圧倒されました。ニュートンの「巨人」の巨大質量に打ちのめされた訳です。そしてまず、自分の問いと答えの案をつくり、それを足がかりにしてこの巨人とつきあっていこうと思いつき、トンカツ屋でおかわり2杯食べたあと、フリーライティングしました。

 そう思いつくことができたのは、自分のための問いをもつこと、そして、これが自分で考えた自分の答えだと呼べるような考えをもつことに、憧れていたからだと思っています。この憧れをはっきり意識したのは、高校時代、世界史の授業を受けたときでした。N さんという年配の先生が担当でした。

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 ぼくはまじめな高校生ではなく、授業もよくサボりましたし、教室にいたとしても、他のことで忙しいのが普通でした。そのいい加減なぼくなりに、N さんの授業は真面目に受けようと思っていました。N さんの人柄にひかれただけでなく、授業そのものに、新しい何かを感じたことも大きかったように思います。

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 N さんの人柄についてひとつ話しておくとしたら、やはり、彼が飼っていた猫との出会いのエピソードがよいでしょうか。最初の授業で話してくれたものです。それは、N さんが尊敬してやまない奥さんと2人、たしか自宅のお風呂が壊れた日に銭湯へいった帰りのこと。暗くなった夜道で、段ボール箱に入った小さな捨て猫を見つけたそうです。2人は動物を飼わないと以前に合議し、そのルールを守っていました。だから2人はその時も、段ボール箱の横を通り過ぎました。

 でも。通り過ぎたうしろから、みゃあみゃあ、みゃあみゃあとなくその声が、みゃあみゃあ、みゃあみゃあとつづいており、それがあまりにも、みゃあみゃあ響いていたので、2人してうなずきあって飼い始めたら、あっと言うまに12年経っちゃった、というお話でした。5分くらいのお話しの中に、みゃあみゃあが30回は出てきました。道端の捨て猫が普通だった当時、よくあった話しだと思います。にもかかわらず、そのお話しは、ぼくらの心を鷲掴みにしました。

 N さんの歩き方は、まったく意図していないと思うのですが、映画のチャップリンのようで、サスペンダーにだぼだぼのスラックスという服装が、さらにチャップリンらしさを増していました。そして彼は、「その猫がなぁ。みゃあみゃあ、みゃあみゃあとなくんですわ」とみんなの方へ顔だけ向けて教壇右端へヨタヨタどかどかと歩き、そのままこちらを見ながら回れ右して「みゃーみゃあ、みゃーみゃあとなくんですわ」とヨタヨタどかどか中央に戻ったかと思うと、がっくりとうなだれるように教卓へ両手をつき、そしたらもう連れて帰るしかないやろみんなと、うったえるような目でぐるりとぼくらを見渡したのです。

 これには、みんな降参でした。他のことなんてやってられません。この話しを聞かないなんて、高校生の風上にもおけません。かなりガラの悪かった (ごめんね) ヤンキーな友人たちも、「なぁベン、あの話しよかったよな」と何度もあとで話してくれるほどでした (高校時代、ぼくはずっとベンもしくはベンジャミンと呼ばれてました。映画に出てたベンにそっくりだからという説と、英語の教科書のベンに似てるからという2説ありました.. 余談)。

 このエピソードに限らず、N さんは授業中に感情が激してくると、いつもチャップリン歩きを交えながら、ぼくらを見つめ返すように話しました。そのひとつひとつを、ぼくたちはどれも大切にし、よく話題にしていました。「あの奥さんと冷蔵庫の話し、考えたんやけどな、ベン。やっぱりあれは..」という感じで。

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 そのどかどか歩きよりもさらに印象的だったのは、教科書や論文にかかれている「文章」への謙虚な姿勢でした。彼は、時間があれば、歴史の本や論文、そして当時のぼくにとっては衝撃的だったのですが、教科書であっても穴が開くほどに読んでいました。

 なぜそんなことに気づいたかというと、彼は必ず授業開始3分前にやってきて、教卓に置いた本などをじっくり読みながら、授業準備を仕上げていたからです。N さんの年齢からすると、たぶん30年以上、繰り返し教えてきた授業であっても、その教科書を見つめるように読み返す姿は、新鮮でした。

 授業は実に用意周到なものでしたし、その顔つきというか落ちついた素振りから、この授業前の3分間読書が直前の付け焼刃用ではないと、肌で感じとることができました。そしてこの彼の姿ほど、学ぶことに対する謙虚な姿勢を教えてくれたものはないと、今も思っています。

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 授業内容はさらに印象的でした。たとえば、中世ヨーロッパの荘園制を題材にした授業だったと思います (なつかしいですね)。まずは、背景になる前回までの要点を2分くらい説明します。おかげで、事前に復習なんてしないぼくのような生徒でも、最低限今日の話しのスタートラインにつくことができます。西ヨーロッパの封建制度のおさらいでした。その封建制度を機能させていた鍵が、荘園と呼ばれる土地所有と食料生産のシステムです。

 西ヨーロッパに広くみられた荘園というシステムが、ある時点からうまく働かなくなり新しいシステムに移行した、という意味の文章が、教科書のたしか1パラグラフを使って書いてありました。今日はここの話しだなとみんなに予想させておいてから、N さんは「問い」を黒板上端の中央に書きました。「荘園制度崩壊の理由」かそのような意味の言葉だったと思います。

 そして、黒板を大きく3等分するたて線を引き、真ん中、左、右という順番に説明していきました。残念ながら詳細は覚えていません。でも、真ん中に書かれたことは、かろうじて覚えています。「技術革新による小麦生産速度の上昇」のような意味のものでした。農地の生産速度を上げたいという目的で進められた技術改良が、食料という資源の余剰を生み、その余剰資源に依存する新しい役割、たとえば穀物を農具や家具に交換する商人をつくり出し、やがてそれが貨幣の普及につながる、といった説明でした。

 小麦の生産性を上げる技術改良を目指した人たちは、当初、自分たちの努力が急激な貨幣普及につながるなんて思ってもいなかったはずです。それがやがて、土地所有制度の大規模な変革の要因になるなんて、意図していなかったはずです。ヨーロッパなど広い地域の社会システムの変化が、こういったプロセスで起こるのだということに強く興味をもったことを覚えています。

 でも、ぼくがここでお話ししたいのは、そこではありません。

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 黒板いっぱいに文字や図を入れて説明し終えたあと、N さんはこう言いました。「教科書を開いてください。今日説明したことは、この右のページ、上から2つめの段落に書いてあります。教科書に書いてあるたったひとつの段落には、今話したようにたくさんの人たちが、歴史の謎解きに取り組み、明らかにしてきた答えが、これだけたくさん詰まっているのです。」

 そして、少ししゃがむようにして、黒板の真ん中下あたりの1行の文を四角で囲み、「この部分は、私が自分で見つけた答えです。自分で考えて自分で証拠を調べ、正しいと考えているものです。だから、この教科書に載っていませんし、まちがっている可能性もあります。もちろん入学試験にも出題されません。」そう言いながら、微笑みました。謙虚すぎる N さんは明言しませんでしたが、ぼくは、四角で囲んだ答えの案をどこかの雑誌に発表したんだなと想像しました。

 さらに、こう付け加えました。「ヨーロッパの荘園制が崩壊した理由について、少しちがう何通りかの説明をする人たちもいます。今日お話ししたことは、私が正しいと思っている解釈を、私なりに再構成して説明しました。これが今の私にできる、一番の説明です。みなさん、いかがでしたでしょうか。」

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 よくわかったしおもしろかったと感じていたぼくは、でも、何も返事できませんでした。拍手ひとつもできませんでした。まだ本当の大人じゃなかったのです。

 しかしこの経験があったからこそ、ぼくは、英語がとんでもなく苦手だったにもかかわらず (高校の先生がやたら S だの V だの口走っていたのが何だったのかは、そのずっとあと、塾講師をしたときに初めて知りました.. ごめんなさい) 英語の論文を読みつづけようと決め、目の前に立ちはだかるニュートンの巨人に自分の無力さを感じても、つぎの一歩を踏み出すことができたのだと思っています。

 論文などの文章には、ほぼ必ず「この研究で初めて明らかにできたところは、これ」と書く部分があります。ここがぼくたちのオリジナリティですよと、主張する部分です。その文章を書くたびに、ぼくは N さんの授業とヨタヨタどたどた歩き、そして食い入るように教科書を読み直す姿を思い浮かべます。あの N さんに少しは近づくことができたろうかと、思いながら。