on outline processing, writing, and human activities for nature
たとえば、これからの5年間で自分が何をしたいのか具体的に大きな絵を描いてみなさい、という言葉をよんだことがある。
でも、大きな絵を具体的に描き、その絵をゴールにして日々作業するやり方は必ずしも効果的ではないことは、皆さんご存知のとおり。
ぼくの場合、こうした具体的な絵は、描きあげた瞬間から色あせたり、それをみてもどきどきする程度が小さくなりはじめる。
行動のモチベーションとして、機能しづらくなる。
日々の生活の中で出会う小さなエピソードをとおして経験したことと、わずかに矛盾する場面も増えてくる。
最初は無視できるけれど、わずかな矛盾が繰り返されると、無視できない心のわだかまりになることも多い。
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だから、その大きな絵を、完成させるのをやめよう。
完成させずに描きつづけよう。
日々の生活で出会うエピソードを、大きな絵の一部の断片 pieces として、描きつづけよう。
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絵を描くとき、ぼくたちはたとえば、えんぴつで線をひき、筆で色のドットをうつ。
このえんぴつの線や、色のドットは、これからつくりあげたいと思う絵を形づくる小さな断片 piece(s)。
線をひいたり、色のドットをうちつづけることで、その線やドットの集まりは他の人からみても分かる何かの絵に近づき、ある日ひとつの作品 piece ができあがったように感じる。
そんなときは、乾杯してひと休みするのもいい。珈琲をのみながら遠くをながめたり、空をみあげて深呼吸するのもいい。
だれもみてなければ、こっそり今の気もちを笑顔で表現してみる練習も、悪くない (笑)。
ぼくの場合、ひと休みするうちに、できたばかりの作品 piece が、たくさんの作品 pieces をとおして表現したいことの断片 piece(s) である事実を実感できる瞬間がある。
そんな気もちになったらすぐ、えんぴつをもってつぎの新しい線をひこう。新しい色のドットをうとう。つぎの小さな断片 piece(s) をリアルにしよう。
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おっさん的経験から言うと、こうやって描きつづけるぼくたちの大きな絵は、心配するほど大きく変わりづけないし、不安定なものでもない。
どっしりと静的にみえることも多いし、そばでみれば、ダイナミックに変化しつづけてもいる。ぼくたちが、新しい線をひいたり、色のドットをうつことをやめないかぎり。
日々の生活で、あなたがとったリアルなある行動という piece(s) は、その繰り返しで描かれるあなたの個性とか性格と呼ばれる piece(s)、あるいはあなたの人生という piece とも、たがいに入れ替わることのできる、平等なものなのかもしれない。