on outline processing, writing, and human activities for nature
何を文章としてかいて発表し、何をかかないか。あるいはかいても発表しないか。
何をメールとして伝え、何を伝えないか。あるいはメールにしてから削除するか。
何をつぶやき、何をつぶやかないか。
そして何をプログラミングし、何をプログラミングしないか。あるいは敢えて途中でやめるのか。
それらがすべて、自分の表現である。
その延長として、一日のタスク管理も自分の表現である。
だからそれは、文学的、あるいは絵画のような〈カタチ〉であっていけない理由はないし、むしろその利点もあるだろう。