on outline processing, writing, and human activities for nature
ぼくの少ない趣味のひとつは、哲学の本をよみながら考えることです。
新しく出版される本を、つぎからつぎへとよみつづけるのは苦手なので、これまでによんだ著者の数もごくわずか。年代順に並べると、デカルトとスピノザ、そしてアランの三人です。
ここでは、ぼくが最初に哲学の本をよむことの愉しさを学んだデカルトの『方法序説』について、お話ししたいと思います。
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初めて『方法序説』をよんだのは、7年間働いた仕事をやめて大学院に入り直した年だったと思います。高校生の頃に仲よくなった倫理と政治経済の先生からもらった岩波文庫の古本 (たぶん落合太郎さんの訳) でした。
予想よりずっとよみやすかったことを覚えています。でも、念のためにもう一冊、別の訳本もかいました。中公クラシックスに入っている野田又夫さんの訳です。これは三回繰り返し、ノートをとりながらよみました。
そしてこの作品は、分りやすくいうと、17世紀にかかれたすばらしい「ノウハウ本」である、と考えるようになりました。
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『方法序説』では、この世界を理解する具体的な方法がかかれていると、ぼくは理解しています。「偽」から「真」を見分ける方法です。
まず、彼は数学がお気に入りであることを告白しています (第1部)。数学のことばを使えば、論理の矛盾や飛躍が起こり難いし、かかれていることが「真」であるか証明できる。
その数学のやり方を、図形などの抽象的なものだけでなく、自然やそれを構成する生きもの、人間や人間のつくる社会、そしてその精神の理解にまで応用できれば、それまで見えていなかったことが見えるようになり、人を苦しめるさまざまな問題解決にも繋がるのではないか。
そのやり方を自分で見つけカタチにするのだ、という決意が、エッセイのような形で説明されています。
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より具体的な方法ととして、彼は4つの「規則」を上げています (第2部)。
(1) できるだけの努力をして「真」であると判断できたものからだけ出発し、(2) 興味をもった問題を可能な限り細分化する。(3) 細分化した問題の中から、単純なもの、かんたんなものから順番に問題を解き、(4) 完全にすべて枚挙できたと考えられるまで問題を解きつづける。
この「規則」に沿った作業を繰り返すことで、たとえば、自分のまわりにある自然の理解を進められるし、とても複雑にみえる人間の精神についても、理解を深めることができる。
つぎに、上の (1) の段階で「真」と判断できるものがない段階で「何も信じられないし、世の中真っ暗じゃ!」と落ち込まないための方策も紹介されているところが、気が利いています (第3部)。最初の「真」がみつかるまでのあいだも、幸せな気分でいるためのライフハックみたいです。
たとえば、彼が第1の格率とよぶものは、自分のくらしている国の法律や習慣を尊重し、そのやり方に倣って日々をすごす、というワザです。とくに習慣については、まわりの人が口にしたり書いたりしていることよりも、その人たちが実際にやっていることに倣うようにする。
あるいはたとえば、第2の格率は、いちど「自分はこうする」と決めたことは、迷わずきっぱりとした態度で、安心して継続するよう心がけるというワザ。森で迷った人のように道を選ぶ方針を、進む方向を決める方針を変えつづけると、ますます森から出られなくなるから、決めた方針を潔く大切にしつづけるのがいいよ、という話しだと理解しています。
そして第3の格率は、最初から、まわりを人や社会を変えようとするのではなく、まず自分の考え方を変えることから始める、というもの。この世界で自分がいちばん自由に変えられるのは自分の考え方なのだから。
ね、どうです? 細かい気配りまで入った「ノウハウ本」のように見えますよね。
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以上にかいたことは、ぼくがかなり大胆に、自分なりに短くまとめたものです。勘ちがいもたくさん入っているでしょうし、表面的にしか理解できていない部分も多いと胸を張って言えます (笑)。
それでも、ここにこんな記事をかいたのは、もっと多くの人に、こうした『方法序説』のようなすばらしい哲学の本、たとえばデカルトが人生をかけて見つけたアイディアに、多くの人が触れる機会が増えるといいなと思っているからです。
そして、哲学の本をよむのが趣味であるぼくでも、こうやって、デカルトについて語る愉しみをもってよいと、信じているからです。