on outline processing, writing, and human activities for nature
「読みたい本」ということばは、一見普通だけど、実はちょっと大切な意味をもっている。
このことばには、まだ読んでいない本も、読み終わったけれどまた読みたい本も含まれる。ずっと積読している (でもほんとは読みたいんだよ) 本も、もちろんOK。
「読みたい」は自分の欲望 (=生きるエネルギーのひとつ) である。夏の午後、その日のフィールドワークがひと段落して、水筒にいれた冷たい水を飲みながら「部屋に戻ったらあの本読みたいなぁ」と思える本たちがいることの幸せよ。
カッコウつけて書くと、「読みたい本」のリストは、人生の大切な選択プロセスを表しているのかも知れない (笑)。
これは、「良い夜を聴いている」というポッドキャスト (#15 2022年読みたい本選手権) の受け売り。
読書のことを話すポッドキャストはいくつもあるけれど、ぼくのなかで「良い夜..」は、いちばんの読書系ラジオであり、最近は配信がYouTube動画になった。
かっこいいマペットが頭に本とかくっつけてモソモソ動き、うしろを悠々と歩くネコのしっぽが横切ったりする、文学の醍醐味や愉しみ方を、ヨイヨルさんならでは形で表現している。海外文学が多いけれど、広く文学好きの人たちにとって魅力的な番組だと思う。
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さて、以下は2025年8月20日のぼくの「読みたい本」のリスト。順番にあまり意味はなく、わざと書名だけにした。
・『シェイクスピアの記憶』
・『続審問』
・『2666』
・『塵に訊け』『Ask the Dust』
・『偉大なる時のモザイク』
・『黄色い家』
7冊あるけど、数に深い意味はない。何となく3冊くらいにしぼりたい意識はある。もちろん無理に削る義理はない。
最初の2冊はボルヘスの作品。『続審問』は読んでる最中で、今まさにハマりかけている本。ボルヘスの短篇小説集のような文学論の本かなと予想している。『シェイクスピア..』はタイトルが気になる。そして、ボルヘス最後の短篇集らしい。
『2666』も読んでる途中で、どんどん引き込まれているところ。初めて読むボラーニョ。彼の遺作で、読み始める前は小説なのかエッセイなのかも知らなかった。出だしにボルヘスの香りを感じる。話しの進め方や登場人物たちの描写は、ボルヘスとはちがうかも知れない。でもボルヘスのように、ちょっと引いた視点で描かれている肌触りがする。
4番目は、ジョン・ファンテの作品を栗原俊秀さんの日本語訳『塵に訊け』とファンテの原著を合わせて読んでみたいという意味。日本語訳は二回読んだところ。ぼくにとってファンテは特別な存在で、何度でも読みつづけたい。
ファンテ作品で栗原さんの翻訳のファンになってしまった。栗原さんの他の翻訳作品の中で、このリスト5番目にある『偉大なる時のモザイク』がとくに気になっている。
最後の『黄色い家』は川上未映子さんの最近の作品。『夏物語』ですっかり川上ファンになってしまった。つぎに何を読むか、迷うところだけれど、この本がいちばんの候補。本屋で川上さんの本を手に取ってみて、中身をぱらぱら眺めて、別の川上作品に変わる可能性もある。
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どちらかと言うとぼくは読書が苦手で、集中して読みつづけられないし、読む速度がおそい。
でも読書が好きで、たまに読んでいるうちに、そこから声が聞こえてくるような作品に出会えたときの嬉しさったら、他にない。
そうでなくても、活字を目で追っているだけで嬉しくなる瞬間もある。こういうとき、自分はもしかすると活字マニアなのかな、ヘンな人なのかなと思うこともある (笑)。
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「読みたい本」のリストは、もちろん一部、もしくは全部が日々変化する。
読み終わったらそのリストから外れる本もあれば、そのまま残りつづける本もある。今のリストは7冊の本でできているけれど、それが10冊に増えるときもあれば、3冊に減るときもあるだろう。
このリストの変化は、人生の一部でもあるかも知れない。
読んだ本のリストではなく、今の自分が「読みたい本」だからこその日々のダイナミクス。