on outline processing, writing, and human activities for nature
ヴィトルド・ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』(米川和夫訳、平凡社ライブラリー) を読みはじめました。
めずらしく、巻末にある解説を味わってから本編を読んでいます。最近、翻訳という創作活動が気になっているからだと思います。
『フェルディドゥルケ』巻末にある訳者解説や付録の構成は以下のとおり。
力の入った構成だと感じました。最後にある島田雅彦さんのエッセイは本編を読んだあとにとっておくことにし、それ以外の文章をじっくり読みました。
米川和夫さんは1950年代後半から1960年代にかけてポーランドに留学、ポーランド文学を日本に紹介した先駆けで、1982年に52歳の若さで亡くなられたそうです。比較文学が専門の西成彦 (にし・まさひこ) さんの解説によると、米川さんのおかげでポーランドやスペイン語圏、フランス語圏や英語圏の国々からはやや遅れはしたものの1970年代には「フェルディドゥルキスト」という生き方が日本にも拡がったのだとか。
米川さんの訳者あとがきと解説、そして西さんの解説、いずれも冷静さのなかに熱が伝わってくる文章でした。ゴンブローヴィッチの作品は未成熟を武器にしたものである。その前衛的な作品に対する社会の反撥と受容、そのなかで排斥されても受け入れられても、苦悩を深めていくゴンブローヴィッチ。
熱烈な理解者、暖かい仲間に支えられて生きていたゴンブローヴィッチの、いわゆる孤独とはちがうけれど自分が自分に対して抱く孤独。それだけではなく、たとえば今のウクライナ問題と、ポーランドで生まれ育ったゴンブローヴィッチの自立と孤独が地続きであると実感しています。
社会全体がたとえば国家主義 nationalism や民族主義 ethnonationalism へと向かうなかで、ぼくたちはその社会とどう付きあっていけば良いのか。ブエノスアイレス版序文によると、その問いに対しゴンブローヴィッチはこの『フェルディドゥルケ』をとおして、答えの案を出しているようです。
ゴンブローヴィッチはこの生き方をフェルディドゥルキズム Ferdydurkism とたぶんなかばふざけながら、なかば誇りをもって呼び、そうした日々の生活を暮らす人々をフェルディドゥルキストと呼んでいます。「フェルディドゥルキストへの手紙」では、ポーランドで出版された初版をよみ、支持してくれた人たち、影響を受けた人たちへの想いが語られています。
本文をよむのがさらに愉しくなってきました。