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ecology of biodiversity conservation

notes

on ornithology, ecology, conservation of biodiversity, natural history, evolution, outliner as a personal dynamic media, and writing


しるし. July 12 2015

フランスの高校で哲学の講義をしていたアランは、こう言っている。

地球はまわっていると、ガリレイはいった。その真の意味は、彼はひとつの見かけからその奥の秘密を発見したのだ.. [1]。

ぼくたちは生活し、その中でさまざまな「しるし」に出会う。それはたとえば、空高くのぼった月をみるときの家族の笑顔だったり、道すがらみかけた、全力疾走する小さな男の子のまなざしだったり、あるいは、緩やかに波打つ北の大地に広がる田んぼの彼方から聞こえてきた、ヒグラシの声だったりする。

しるしは、至るところにある。そのしるしを見逃してはならない。日々の生業の忙しさにかまけてはいけない。あなたの出会ったしるしの意味に気づくことに、フォーカスする必要がある。

アランのメッセージを、ぼくはそう理解している。


中学のとき、みんなからNくんと (尊敬と親しみをこめて) 呼ばれていた非常勤の先生担当の正課クラブに入り、近くの山を歩きながら、見つけた露頭の種類や構造を記録するという作業をやったことがあった。地学のフィールドワーク。

それは、たぶん理科クラブか科学クラブといった、どちらかというとカッコ悪い名前 (ごめんなさい) だったし、楽しいスポーツができるクラブではなかったから、あまり人気がなかった。メンバーはたしか3−4人で、男ばかり。みんな何となくか止むを得ず、そのクラブを選んだ感じだった。Nくんとちょっと仲よかったから、という理由もあったかも知れない。正課のクラブの時間は、みんな息抜きの時間みたいな感じで、教員も生徒も良く言うとのんびり、悪く言うとだらだらやっていた (ただ、ぼくたちは気にとめなかったけど、Nくんはばっちり準備していたフシがある)。

フィールドワークでも、とりとめもないことを話しながら、たとえば数学の授業中に命がけでつくっていたぱらぱらマンガ (これまたごめんなさい) のできばえを話しながら、アカマツの多い痩せた森と藪の中を歩き、崖や地面の上に顔をだしている岩を見つけては、Nくん愛用のロックハンマー (『ショーシャンクの空に』で終身刑の Andy が聖書の中に隠しもっていた小さな「救い」のハンマーと同じやつ) で割ったり削ったりし、クリノメーターという木でできた古めかしくて小さい箱を使って地層の傾斜や向きを記録する、ということをやった。適当に [2]。

山歩きは好きだったからまあそれだけで良かったし、アカマツの葉でふかふかのトレイルを歩きながら聞くNくんの地学話しは、適当なぼくたちを飽きさせない何かがあったので、それなりに楽しかった。

で、2−3回山を歩いたあとの「データ整理」の時間。今日は山歩かないのか、ちょっとつまんないなと思いながら、理科室へ向かったのを覚えている。でもそのデータ整理は、ぼくがそれまで思っていた整理ではなかった。大きな意味で。

それは、前の週までに採った露頭というばらばらの点の記録から「層序図」をつくる作業だった。露頭の種類や角度の情報と単純な幾何学のルールを使うと、ぼくたちが歩いた山の地面の下の構造を描くことができた。そしてそこから、あの山がどうやっていつ頃できたかが推理できた。

ひとつひとつは、ごく小さなしるしだったとしても、それを組み合わせれば、見えないと思っていた世界を見ることができる。それも、自分の足で見つけたしるしをもとに、自分の頭と手を使って見ることができる。

まわりの反応は覚えていないけど、とにかくぼくの、なまけもの中学生の、適当精神はどっかへ飛んで行ってしまった。1階にある理科室は中庭に面していて、窓から強い光が硬質でむやみに広い実験テーブルの上に差し込んでいた。中庭では、いつものように麦わら帽子をかぶった校長先生が芝生に水を撒いている最中で、霧になった水が理科室にも入ってきた。そして、その冷たい空気を吸いながら、ぼくは訳も分からず「コレだ!」と思った (いったい、何がコレなんだ)。


アランの言う、見かけの奥にある秘密をつかむためには、しるしを集め、しるしを眺め、その上位にあるかも知れない大きなしるしを見つけるという作業が鍵になる、とぼくは考えている (アランは「ひとつの見かけ」としているが、これも大きな意味の「ひとつ」ではないだろうか)。もちろん、集めたものをグルーピングするだけでは不十分だし、そうしてできる見かけの階層構造に騙されてはならない。

そのためには、階層を上がる [3] プロセスが大切な役割を果たす。

まだぼくも、階層を上がるをうまく説明できないけれど、その答えを見つけるひとつの方策として、上にあげたような自然科学のアプローチに倣うことも有効ではないかと考えている。今思うと、その有効性を自然に体験させてくれたN先生の教育プログラムは、オーソドックスにみえるけどなかなかすごい。帰納だけでも演繹だけでも片手落ちで、それらを俯瞰するプロセスまで入っていたと思う。


そしてこれは言うまでもなく、アウトライナーや哲学、自然科学限定の話しではない。しるしに気づき、集め、眺め、捨てながら上位にある大きなしるしを探す。それを日々繰り返すことは、多くの人々の生活にとって、強力な武器になるだけでなく、最高の醍醐味をもたらしてくれるひとつにもなるはずだ。

  1. アラン (神谷幹夫 編訳). 2015. 生きること信じること. 岩波書店, 東京.
  2. 適当とは、ほどよくかつ、できるだけたくさんなまけながらという意味の、ぼくらの中学生用語である。
  3. Tak. 2015. 階層を上がる思考. Word Piece


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