on outline processing, writing, and human activities for nature
ジョン・ファンテ。今新刊が買えるファンテの本は6冊で、どれもよかった。すべて栗原俊秀さんの翻訳。
栗原さんは、イタリア留学中(カラブリア大学)に受けた講義でファンテ作品に出会い、ファンテの作品に魅せられ、ファンテの翻訳をはじめたとか。それだけファンテの作品に思い入れのある栗原さんのような方の翻訳というだけでも、ぼくたちにとってはすばらしい贈り物のように感じる。
人気があるのはたぶん『満ちみてる生』。ぼくがとくに好きなのは、アルトゥーロくんが登場する三冊。そのなかのいちばんは、今のところ『バンディーニ家よ、春を待て』。少年アルトゥーロの視点で語られることばの揺れ動き方が好きなのと、後半の展開に魅せられてしまった。すべてが解決するワケではないが、解決していないワケでもない。そしてバンディーニ家の人々は先へと進む。
たとえば野球と犬。他人からみればなんでもない日常の出来事が、大きな意味をもつこともある。『バンディーニ家よ..』はこの6冊のなかで唯一、主語が三人称の文章。何度もかいているけれど、三人称ならではの、視点のシフトがすごかった。
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本のよみ方。仕事のあいだの断片的な時間によむことが多い。
それまでiPhone画面を見るタイミングだった場面の半分から三分の二くらいの割合でいいから本を開くように意識した。今もその習慣がつづいている感じ。
たとえば、つぎの電車がくるまで5分あれば、本を広げよみ始めてみる。それだけでも結構よめるし、愉しめることも分かったのが、新しい収穫。
外を歩くのが好きなのだけど、小さな双眼鏡といっしょに本をもち歩くことも増えた。本が汚れたり傷んだりすることもあるけど、それはそれでよし。
めんどくさがりやなので、栞や付箋はもち歩かず、代わりにページの角をドッグイヤーする。よむのを中断するときはページ下端の角、いいなと思ったときはページ上端の角をドッグイヤーする。
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読書とノート。夜や週末などにゆっくりよむ時間がとれたときは、ノートをとりながらよむこともある。ノートをとるのも趣味のひとつ。
ノートは、Emacsというテキストエディタでとる。紙のノートとペンも好きだけど、Emacs org-modeやBikeというアウトライナーをつかってノートをとるのが、ほんと愉しい。
ノートする中身は、たとえばいいなと思った文章を「写経」する。とくにファンテをよんでいるとき、こりゃいいぞと思ったところを「写経」することが多かった。
人の名前や地名、生きものやモノの名前がたくさん登場する作品をよんでいるときは、その名前を順番などは気にせずどんどんメモする。やや難解に感じる作品をよんでいるときも、気づいたことや浮かんだことをノートする。今だと、ボルヘス『伝奇集』はノートとりながらよむと、一気に「分かったぜ」と感じることもある(たまにだけどね)。
よみながら語りたいことができたら、その場で短くメモしてあとで本格的に書いたり、最初からどんどん書いたりすることもある。長編をよみ終えたら、あるいは短編集一冊をよみ終えたら、短くてもいいから、そのときに頭にあることを書いておくようにしている。
EmacsもBikeも起動が速いので、よみながらノートをとる道具にぴったりだと、個人的には思っている。アウトライナーなので、とりあえず無秩序に思いつくがままに書きとめておいても、あとで困ることはない。
そのあと時間のあるときに整理することもあるし、ほったらかしの場合もある。短いメモの断片から、長い文章が育つこともある(たまにだけどね)。