on outline processing, writing, and human activities for nature
マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒けん』(柴田元幸訳、研究社)を読み終りました。予想の10倍くらい良かったです。
小学校にあまり行ってないハックが自らのことばで語る、逃亡奴隷ジムとの筏の旅。ハックの目をとおした19世紀半ば、ミシシッピー川沿いの町に暮らす人々の残忍さと優しさ、アメリカ合衆国南部の豊かな自然の厳しさと美しさ。
柴田元幸さん渾身の「ハック語」の翻訳もすばらしいと思いました。学校へ行っていないハックの文法的にあやしい英語だからこその表現を、直接原著でも味わいたくなりました。
物語半ば、17章と18章でグランジャーフォード家とシェファードスン家の「しゅくえん」の争いを体験したハックが、ジムとの筏の旅を再開した19章冒頭、筏旅の日常とミシシッピー川沿岸の大きな風景の描写に心動かされました。
当時の価値観にも律義に見えるハックが、黒人奴隷のジムをミス・ワトソンから結果的に盗んでしまったことへの罪悪感と、筏旅をとおして何度も体験した優しいジムの想い出との狭間で葛藤し、大きな選択をする31章も好きなシーンのひとつです。
その一方、33章以降のトム・ソーヤが登場したあとは、展開もおもしろくてマーク・トウェインの筆が乗っているように見えるのですが、物語の視点がトムの豊かないたずら発想力の描写中心に移っているように感じました。
これはこれで好きなのですが、ハックの目をとおした当時の合衆国南部のオトナ社会の描写や、ジムの個性や内面に踏み込んだ場面があってもよかったのかなと(たぶん現代おっさんの後出しジャンケン目線で)思うところもありました。31章で描かれたハックの決心がもっともっと活きる場面を期待していたのかもしれません。
この本を読みはじめたきっかけは、パーシバル・エヴェレット『ジェイムズ』(木原善彦訳、河出書房新社)を読んだことです。で、これからもう一度『ジェイムズ』を読んでみる大作戦。さて今回は、どんな風景が見えるでしょうか。