gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


Mastering Emacs

しばらく (電子的に) 積んでおいた『Mastering Emacs』という本を、ようやく本腰いれてよみはじめました。

この本は、Emacs というテキストエディタ、いやテキストエディタ以上のテキストエディタ、いやいやOS のような総合環境、の入門書です。そして、Emacs を長く使ってきた人の再入門書でもあると期待しています。

現行が第4版と、版を重ねているところからも、よい本の可能性が高いと期待しています。

Emacs そのものの魅力は、そのすべてが機能拡張できる、という哲学でしょうか。

逆に、ぼく自身も含めた多くの初心者が Emacs を気軽に使いはじめることができない理由は、技術的な知識体系がないとほぼ何もできないという人を選ぶデザインでしょうか。

残念なことに、Emacs を使う人は、この20年間で地球全体をとおして順調に減りつづけているようです。

そんな状況をナンとかしたくて、Emacs の紹介記事をかこうとイチネンフンキしたぼくのような入門者がまず困るのは、その全体像がなかなか見えてこないこと。「いやこれはいいぞ!」と感じても、その感覚を他のモダンなアプリのように紹介するのが、ほんと難しい。

今、自分が「分かっている」と思っていることがトンデモナイ勘ちがいなのか、そうでないのか、なかなか手応えを感じられない。

技術的な知識の体系を学んでいないとよく分からない設計になっていることが、その理由だと考えています。

その一方で、Emacs をこよなく愛するコミュニティーメンバーの活動を見ていると、うらやましく感じるほど、Emacs との生活を愉しみながら、Emacs をよいツールとして自分たちなりに改善するための時間と労力を投資し、その成果がうまくEmacsの成長に反映しているように見えます。

優秀な人たちが、自分たちの時間を Emacs のために費やすことに生き甲斐を感じており、それが数年規模の流行りに乗っている人だけでなく、過去50年 にわたる Emacs の長い歴史を踏まえた、次の一歩を歩んでいるようにも見えます。

そういう元気なコミュニティの様子を垣間見たり、実際に日々 Emacs をつかいつづけていて実感するのは、Emacs は Emacs をつかったことがない人が思う以上によいテキストエディタ、あるいは総合環境であること。

移り変わりの激しいOSやアプリの流行に流されない、安心して長く使いつづけられる可能性や安心感、手づくりでツールの機能拡張できる満足感、のようなものを感じさせてくれます。

できればこの Emacs が、頼もしいツールとして22世紀まで生き残って欲しいと、ぼくは思っています。

この『Mastering Emacs』は、本全体のアウトラインから予想すると、ぼくのような Emacs で文章をいっぱいかく人、プログラミング以外の用途に Emacs を使おうとしている人を想定しているように見えます。

この本が、そんなぼくと Emacs の関係を次のステップにすすめてくれる、きっかけのひとつになればいいなと思っています。