on outline processing, writing, and human activities for nature
高校1年の担任は美術のO先生だった。そのだんなさんは彫刻家で、たまに彼がどんな毎日を送っているのか話してくれた。
いちばん記憶に残っているのは、四国という地方で芸術を育てることのむつかしさ。ぼくは四国の山あいの町で生まれ育った。
日本のひとつの地方で、たとえば彫刻をつくりながら生活するのは、かんたんではない。
そして、それと同じくらい地方にくらす人たちの生活に自然なかたちで芸術が取り入れられるのは難しい..。
彼はこの四国に、芸術を根づかせることを強く願っている。
そんなことを、O先生はそのあたりから聞こえてくる世間話しのように話してくれた。
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中学の歴史のK先生は、美術の先生でもあった。
四国の山あいの3学年合わせて200人くらいの中学校だったので、教員の数も少なめ。自分の専門以外の授業も担当するのが普通だったのだと思う。
K先生の歴史の授業がおもしろかったおかげで、ぼくはたとえば1万年前の日本でくらす人たちの生活に夢中になった。少し離れた森でおおわれた丘が古墳であるとしったのもこの頃だった。
なのでぼくは、てっきり彼は社会の先生なのだと思っていたが、ほんとうは美術の先生だった。
ぼくたちのつくった絵や彫刻の作品を評価するとき、彼はうそをついていないようにみえた。
正直にかくと、中学一年の頃のぼくはデッサンのしっかりした絵が「よい絵」だとかんちがいしていた。自然の光を紙の上にうまく再現している、どちらかというと写真のような絵が「よい絵」だとかんちがいしていた。
なので、遠くのものも近くのものも同じ平面にみえる、川沿いの土手を手の長さも不ぞろいな3人が走っているHくんの絵をK先生が褒めたときには、ほんとうにびっくりした。
たぶん、ぼく以外の同級生たちも、そして何よりHくん本人もびっくりしていた。
最初に先生の冗談かと思って小さな笑い声が美術室に広がったとき、K先生は少し声を大きくして自分はまじめに話しをしていると言ったように思う。
それから、Hくんのこの絵を自分がなぜ「よい」と思うのかをていねいに説明してくれた。
それをがんばって思い出すと、記憶の改ざんが紛れ込んでいる可能性が大きいけれど、次のようなことばだったと思う。
「上手に」描こうとせず、自分のみたものをそのまま描こうとしている部分がいくつもある(残念ながら全部ではない、ともつけ加えていた)。
そして絵全体からひとつのメッセージが伝わってくる。
ぼくはこの話しを聞いたとき、本当に地面と空がひっくり返るような気もちになり、そしてどきどきした。
そうか、絵は上手に描かなくてもいいんだ。
絵を描くことの大切な意味のひとつを教わった気がした。
*
ぼくは今も、絵を描くことが好きで、絵を描くことが自分の一部のような気がしている。
そして、それと同じくらい美術館などで絵を見るのが好きだし、もっと言うと、旅先で個展や展覧会の小さい会場に入って1–2時間くらい近づいたり斜めからみたり、遠ざかったりしながら作品を眺めるのも好きだ。いいなと思うとスケッチすることもある。
そうしながら、よくO先生やK先生のことばを思い出す。
あれからもうウン10年。O先生のだんなさんやK先生は今の日本をどう思っているだろうか。