on outline processing, writing, and human activities for nature
ガルシア=マルケスの『百年の孤独』(鼓直 訳、新潮社) を読んでいます。
読みはじめて2か月を越えたでしょうか。もともと読むのが遅いのに加え、別の長篇をふたつ並行して読んでおり、かつ個人的にフィールドワークのシーズンに入り、ますます読む速度が落ちています(笑)。
その途中の感想。少しネタバレを含みます。
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おもしろいです。ゆっくり読んでいるのにこう言うのも気が引けますが、夢中で読んでいます。
物がたりのたぶん主役であるマコンドという町の風景が、もうひとつの主役だろうブレンディア家の人々を中心に語られています。タイトルどおり百年か、あるいはそれ以上の年月にわたる物がたりです。
群像劇ではない、と思います。町を最初につくったホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラ・イグアラン、彼と彼女がマコンドにたどり着くきっかけになるウルスラの曽祖母が若いころに起こった出来事から、この物がたりははじまります。
マコンドはたぶん、コロンビア北東部、カリブ海に面する海岸の南にある山岳地帯のなかにあります。オマキザルやインコのくらす深い熱帯のジャングルを拓いてつくられたそれなりに大きな町を想像しています。
ぼくたちが慣れ親しんだユーラシア大陸の森と大きくちがう、しかも深い熱帯雨林。マコンドの上空をインコが鳴きながら移動し、森のそばの家には、たとえばクモザルの群れもやってくる。そんな絵も思い浮かべながら、小町娘のレメディオスの昇天や、庭のクリの木に縛りつけられたホセ・アルカディオ・ブエンディアのシーンを想像しています。
本の最初にある家系図を見ると、初代のホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラから、6−7世代にわたるブエンディア家の人々が登場するようです。全体の4/5くらいまでの読みました。この段階で、そろそろ5世代目のホセ・アルカディオ(法皇見習い)やアマランタ・ウルスラに物がたりの中心が遷りそうです。その一方で、初代ウルスラも健在。
ブエンディア家の人々に限らず、この物がたりで描かれる人々の、自分の年齢とのつきあい方、自分という個性への拘り、そして社会体制への向き合い方が、期待どおりの期待の裏切り方です。
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なぜ、彼女や彼らは孤独なのか。そして、ぼくたちは孤独とどう一緒に生きていくのか。自分に問いかけながら読んでいます。