on outline processing, writing, and human activities for nature
ていねいにできることをやる。
ていねいにやるにはまず、今を大切にする気もちが大切になる。
未来ではなく、今を見る。
残り時間など忘れていいときもある。
つぎの作業はもちろん、今の作業の終わり方さえ忘れていいかもしれない。
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絵を描くときなら、描いているものや風景を見ながら、最初に塗りたい色をつくる。
そしてその色を、塗りたいところに塗ってみる。
現れるパターンと対象を見ながら、つぎの色をつくり塗りたいところに塗ってみる。
気に入らないところは、別の色をつくり塗ってみる。
そのくり返し。
そうする内になんとなく、この絵の落としどころが、ふと見えてくるときがある。
この瞬間があるから、絵を描くのをやめられない。
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文章をかくときのていねいも、絵を描くときのていねいに似ている部分がある。
かいた文章につづけたい文章のピースをつくりながら、繋げてみる。
気に入らないときは、別のピースをかいてみる。新しいピースをかきながら、その前のピースの順番を変えたり、かき変えたりする。
文章は原則、かいた文章のピースのうしろに一次元につなげていくけれど、そうでないときもある。
繋がらないピースは、たとえば三行くらい空けた下に置く。
この作業を繰り返すうちに、ある段階でその文章のゴールがふと見えてくる。
ひとつずつつくって繋げたピースと、その先にできるはずの未来のピースがいっしょになって、大きなひとつのピースになる。
このかき方はとても時間がかかるけど、こうしないとかけない文章もある。
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そうではなく、でもていねいなかき方は、フリーライティングからはじめる文章づくり。
フリーライティングはスピード勝負のところもあるけれど、だからこそ、ていねいにフリーライティングする。
できるだけフリーライティングにフォーカスしながら、頭に浮ぶことばを文字にする作業に夢中になるように心がける。
そうしながらたとえば20分間、できるだけひたすらにフリーライティングする。
そうしてつくった文章を、たとえば翌日あるいは翌週、場合によっては半年後に、時間をとってよみ直す時間は、好きな時間。
そのフリーライティングをよみながら、ここかなと思うところを出発点にことばを繋げていく。
このときは、上にかいたようなひとつずつピースをつくり、それを繋げる感覚とはちがう感覚で、文章の糸が繋がって出てくる感覚があると思う。
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ていねいにやることは、絵を描くときと文章をかくときでも、こんな風にちがっているけれど、全部がちがっているかと言えば、もちろんそうじゃない。
これと似た〈カタチ〉が、たとえば、ていねいにデータ解析するときや、ていねいにコードをかくとき、ていねいに書類をつくるときにも、あるいはていねいに歩いたり、ていねいに走ったり、ていねいに夕飯をつくったり、ていねいに呼吸したり、ていねいに空を見上げたりするときのやり方にも含まれているような気がしている。
ていねいの〈カタチ〉の情報交換は、けっこう大切なのではないだろうか。