on outline processing, writing, and human activities for nature
遠くまで見とおせる風景が好きです。これはたぶん小学生の頃の想い出が関係しているかもしれません。
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瀬戸内の小さい島にくらす祖父母のもとで夏休みを過ごしていた頃、小学生のぼくの身長よりも大きな石を積んでつくられた防波堤の先にすわって、その先に広がる海とあい間に浮ぶ島を見ているのが好きでした。
聞こえてくるのは波の音。すぐ足もとの波から、何キロか先の磯にぶつかるか波まで、いろいろな場所の波がつくる、無数にも近い波の音。
水平線が平らに見える風のない日もあれば、少しぎざぎざして見える風の強い日もありました。
足もとをみると、透明な海の中を、これまた透明の小さなタコがゆっくり泳ぎ、防波堤の石と石の隙間には、カメノテやイソギンチャクがゆらゆらと触手をのばしています。
波の音のあい間には、島の森からクマゼミの声がとぎれとぎれに聞こえてくることもありました。
ぼくはひとり防波堤の先に座って海を見ることを、高校を卒業して関東へ出るまでつづけていました。
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祖父母の島で海を見るのが好きなことに気づいた少しあとだったでしょうか、自宅の裏から見える山を眺めるのも増えました。讃岐平野には、まるで箱庭のように少し不思議な形の山が並んでいます。
讃岐山脈の麓にあるぼくの育った家は、なんと1200年前 (平安時代!) にできたとされる小さな寺です。
裏の広場の先の緩やかな谷には柿と栗の畑が広がり、その向こうの丘にはマツとシイの仲間のつくる林が広がり、その丘のさらに向こうには、ぼくたちのくらす集落を囲むようにある標高400メートルくらいの山、そのさらに向こうには1000メートルくらいの讃岐山脈が見えます。
何かあると、いや、何もないときも、時間があれば裏の広場にでてはこの風景を眺めていましたし、中学3年の頃から天文学が好きになったあと、この広場は星をゆっくり眺める場所にもなりました。高校生になってアルバイトしたお金をためて買った天体望遠鏡で、ドキドキしながら木星の衛星や土星の環をみたのも、この広場でした。
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天文学に興味をもつようなった頃には、もうすっかり、自分がとおくまで見える風景が好きなことを自覚していて、高校をサボったりしながら、よさそうな場所を意図的に訪れるようにしていました。
そうした、遠くまで見える風景好きのぼくにとって、最高におすすめの場所は、モンゴルの Huh mountain です。
この Huh mountain からの風景については文章にしてあります。よろしければ、よんでみてください。
遠くまで見とおせる風景は、ぼくにとってたぶん何にもまして大切で有効な、ライフハックの道具のように感じています。
おっさんになったのでちょっとエラソウにいうと、生きているとまぁ色んなことがあるのであります。
で、そういうこととつき合いながら日々を笑いながら過ごすためにはエネルギー源が必要で、それが遠くまで見とおせる風景ではないかと、ぼくは考えているワケです。