gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


Short story: 走る

 

みじかい物がたりをかきました。

 

* * *

 

ナワトくんは森の幼稚園に通っていた。

ナワトくんはからだがやわらかくて、六才になっても、赤ちゃんのように胴体を足にぴったりつけることができた。

手をにぎる力もすごくつよくて、とくい技はだれかの髪をぎゅうと引っぱることだったけど、髪を引っぱられたともだちは泣いちゃうことが多かった。ナワトくんにとってそれは、あいさつのつもりだったのだけれど。

ナワトくんは、とおくへ歩くのがちょっとにがて。

だからナワトくんといっしょの日は、出発地点の四阿ひろ場近くの炭焼き小屋やヘビマンションであそぶことが多かった。みんなの好きなウリクボのひろ場は、森の反対側だった。でも、文句いう人はいなかった。あのわがままなターとリョウでさえ、文句いわなかった。

ナワトくんは、風邪をひくとほかの子たちよりも高い熱をだし、なおるのにも日にちがかかった。だから、ナワトくんが幼稚園に来ない日もたくさんあった。ナワトくんがいない日ももちろんあそぶけど、やっぱりちょっと愉しくない。

幼稚園の頃、ナワトくんは走らなかった。

ナワトくんが走る姿を、あのやさしい母さんと父さんもみたことがなかった。

 

* *

 

この月曜日、ぼくはカホさんに連れられ三年ぶりくらいで、森の幼稚園へいった。雨の日も雪の日も森を歩き、森であそぶ森の幼稚園。

森の幼稚園では、あそぶ場所を毎朝、子どもたちが話しあって決める。

朝いちばん、みんなの集まるところは、森の南はしにある駐車場そばの四阿のある広場。

だれよりも最初にきたぼくたちは、みんなをまちながら、広場になわばりをつくっているモズを双眼鏡でみていた。

秋がすすみ、冬のにおいがこの森をおおうようになっても、集合場所の広場にはモズがいる。そういうところは、モズにとってくらしやすいところだと、ぼくたちは予想している。

 

 

タイカくんが最初にやってきた。駐車場につづく下り坂の道をおりきったところの右側のサツキの茂みの向こうから顔をだして、おおぃおおぃとカホさんに右手をふった。

タイカくんは、うしろからくる母さんの方をふりかえってから、よしという顔をしてこちらに走ってきた。

やぁと手をあげて、あいさつするタイカくんとカホさん。

ぼくはしゃがんで、こんにちはとあいさつする。タイカくんはカホさんにしがみつきながら、こちらをみる。タイカくんの母さんがすぐ追いついてきたので、カホさんがふたりにぼくを紹介する。

どうもどうも。カホさんから毎日のように彼らの物がたりをきいているから、タイカくんと初めて会った気がしない。きみがあのタイカくん。そう、あのタイカくん。

あいさつも終わらないうちに、タイカくんが坂の下を指さしながら大きな声で叫ぶ。

「クウちゃん!」

いかに彼が彼女をまちわびていたか、それがすぐにわかるほどの大きな声。きのううちに帰ったときから、眠るときまで、そして朝起きてからここに来る母さんの車の中でも、たぶんタイカくんは彼女のことを話しつづけていたのだろう。彼女とあそぶことが、どれほど彼の人生にとってすばらしいことかを。

タイカくんが指さした先には、白いホンダフリードが駐車場のゲートをくぐろうとしている。この白い大きめの丸くて四角い車に、あのかっこいいクウちゃんが乗っていることなぞ、タイカくんにとっては、常識中の常識。彼女はまちがいなく、うしろの席のこちらの端にいて、タイカくんに手をふっているにちがいない。

フリードがゆっくりゲートをくぐる途中、タイカくんはまってられないとばかりに、坂の下へと走りだす。

思いっきりの、正真正銘の全力疾走。

あぁ、こんなに思いっきり走る人を見たのは、ほんとうに久しぶり。何も恐れずにまっしぐらに坂の下へと駆けおりるタイカくん、五才。

 

* *

 

去年の春、ナワトくんは森の幼稚園を卒業して小学生になった。クリスチャンの人たちがつくった学校で、森の幼稚園の仲間たちの小学校とはちがう学校だった。

そしてこの秋。ナワトくんがついに走った。

走るなんて、こんなステキなことはない。そんなナワトくんの気もちが一目でわかるくらいに、ダンスするように走る、走る。

両手でピアノを弾くように、そのリズムが聞こえるかのように、まるでダンスするように走る、走る。

 

 

たとえば休み時間のはじまり。ナワトくんは走りはじめる。

教室のホワイトボードの前まで走ってみて、それから左折。机の列をふたつ越えたところでもう一回左折。教室を一周回ってみる。やっぱり走るのは楽しい。だからそうだ、廊下も走ろう。

廊下に出て玄関へ向かってステップ踏むように、そしてダンスするようにナワトくんは走る、走る。

その時ちょうど、廊下には校長先生がいた。もちろんナワトくんは、校長先生にも自慢の走りを披露しなければいけない。

どうですか校長先生、このぼくの走りは。しっかり見ましたよと校長先生がナワトくんに声をかける。

「愉しそうですね、ナワトさん。どこへお出かけですか?」

ナワトくんは両手でピアノを弾くように走りながらふりかえり、でも止まることなく、こう応える。

「ちょっとそこのローソンへ、ホッカイドひとつ買いにいくんです」

納得顔の校長先生がうなずく。そうですか。では、気をつけていってらっしゃい。ホッカイドが牛乳のことだと、校長先生は知っている。

今朝、ナワトくんの母さんが、あら牛乳がなくなっちゃったと話してたことを、ナワトくんはいつものようにしっかり覚えていたのだ。ナワトくんは記憶力がとてもいい。

 

* *

 

坂の下の右の茂みに全力疾走しながら消えたタイカくんが、その茂みの向こうから、やっぱり全力疾走でもどってきた。

それから数秒して、クウちゃんも茂みの向こうから現われる。彼女も全力疾走。手を思いきりふるクウちゃんはタイカくんに追いつきそう。それを横目にみたタイカくんも手を思いきりふりはじめる。

走る、走る。

ふたりの全力疾走をみながらぼくは、ゆうべカホさんから聞いた、ピアノ弾くようにダンスするように走るナワトくんと校長先生の会話を想い出していた。

走ることはすばらしいし、美しい。

そう。ぼくたちには、走る権利がある。