on outline processing, writing, and human activities for nature
みじかい物がたりをかきました。
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「最近、子どもたちはどろをたべなくなった」
近所の幼稚園を20年てつだっているカホさんが、ぼくが岩手でかってきた大きめのパンのかたまりをパン切りナイフで切りながらそう話した。
ぼくの記憶でも、昔はどろをたべる子がいた。えいやとしゃがんで、左手でむんずと地面の一部をわしづかみにし、それを待ちきれないかのように頬張る。口からほっぺたまでどろだらけ。
なぜ人の子は、どろをたべたくなるのだろう。あんな不味そうなものはない。どうやってもどろの味がしそうだし、歯触りもどろどろしいに決まっている。
けれどもとにかく、たぶん西暦2000年代まで、どろを頬張る子が少なくとも南関東の横浜の西のはずれにいた。
2020年をすぎた今、子どもたちがどろを食べなくなったとしたら、それは困ったことなのかよろこぶべきことなのか。
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大地の多くはどろでできている。都会のアスファルトやコンクリート地面の下にも、どろが広がっている。
にも関わらず、どろは人々から軽視されている。
人の子がどろをたべなくなったのは、人類がどろのすばらしさを忘れはじめているからだろうか。
むかしはよかった。おれもよくどろを食ったもんだ。とくに戸塚の小雀あたりにあった田んぼそばのどろはすばらしかった。あのガリガリが口いっぱいに広がったときの気もちをしらずに大人になる人ばかりになったら、この日本はどうなるんだろう。
西暦2000年代には、もしかするとそんな感じで、幸せそうに語るじいさんがいたんだろうか。
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ニホンザルもどろをたべる。三回だけ、むしゃむしゃどろをたべるニホンザルをみたことがある。
おいしそうではなかったけど、まずそうでもなかった。
いてもたってもいられないでむさぼりたべているわけではないけど、それなりにイソイソとどろを食べていた。
あのサルたちに、食べるぞという明快な意志を感じた。
動物も思考する。このサルである自分は、コナラやヤマボウシの実なぞではなく、母なる石射太郎山の断崖の頂上から15.4メートル下った大地を構成するこのどろを食べるのであります、という声が聞こえた。
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小学二年生のころ。仲よしのコウくんが、このどろ水はまちがいなくおいしいと語ったが、ぼくは受け合わなかった。
どんなにおいしそうな珈琲牛乳のまろやかな色をしていたとしても、それがどろ水であることを、ぼくは知っていたからだ。
でもコウちゃんへの意思表明を終えないうちに、その確信を否定するうちなる声がやってきた。否このどろ水は、一生のうちに何度も会えない、特別スペシャルどろ水かもしれないじゃないか。
小学二年のぼくは思考した。どろ水がおいしくないとぼくが知っているのはなぜか。おそらくぼくが記憶していないくらい小さいときにたべたどろの味を、賢明にも覚えているからだろう。
しかしそれは、もしかすると一回こっきりの、チンケで浅はかな経験にすぎないかもしれない。どろはそんなにチンケではない可能性もあるんじゃないか。
コウくんがいなくなったあと、ぼくはそのどろ水のある小さな崖の下へこっそりもどり、その水をそれなりにたくさん口にふくんでみた。
どろの味だった。水のなかを稠密にただよう小さな鉱物が舌と口のなかを覆っているだろうすべての粘膜をとおして、はっきりみえた。
だれもみていないはずだったけど、まわりをみるのもはばかりつつ、その水を口にふくんだまま崖のわきにあるヒサカキのやぶの影まで歩いてからしゃがみ、そっと水をはきだした。
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カホさんの切ってくれたパンは、焼きたてのあの香ばしいかおりがした。
人の子がどろをたべるのは、どろはおいしくないという人の常識に挑戦しつづける彼女ら彼らの自我の現れなのかもしれない。
そして結論。人の子がどろをたべなくなったとしたら、それは嘆かわしいことである。
ただし、カホさんとぼくの知らないところで、どろをたべるのとは別の挑戦を子どもたちがつづけていると、ぼくたちは信じてもいる。