on outline processing, writing, and human activities for nature
『2666』の第二部「アマルフィターノの部」を読んでいます。第一部に登場したチリ人の大学教員、アマルフィターノを中心にした物語のようです。今朝、177ページまで読んだところ。
アマルフィターノの最初の登場は第一部後半。批評家3人(ノートン、エスピノーザ、ペルチエ。第一部の主人公たち)がアルチンボルディを探してサンタテレサを訪れたとき、彼はアルチンボルディ専門家として、サンタテレサ大学の学長から紹介されます(117ページ)。サンタテレサはメキシコ北部の街でしょうか。
アマルフィターノに対するエスピノーザたちの評価は低いものでした。
「彼ら批評家たちがアマルフィターノに抱いた第一印象はどちらかというと否定的で、土地の凡庸さに似つかわしかった」(118ページ)
アマルフィターノのアルチンボルディ論は、エスピノーザたちにこてんぱん(死語?)に叩かれます。そのアマルフィターノが第二部の主人公(のひとり)であることが、この作品のうまいところのように感じています。
彼は娘ロサと二人でくらしています。ロサは17歳のスペイン人でアマルフィターノは50歳のチリ人。10歳でパスポートをとったロサと二人で旅をすると、アマルフィターノは非EU市民用の税関ゲートをとおるけれど、ロサはEU市民用ゲートをとおります。つまり、ロサの母親ロラはたぶんスペイン人のようです。
ロラは、娘ロサが2歳のときに家を出て行きました。ロラが敬愛する詩人のいる精神病院を訪ねるというのが彼女の口実。ロラによると、その精神病院はスペイン北東部、サンセバスティアンという街近郊のモンドラゴンにあります。フランスとの国境のすぐ近くです。
こうした巧妙に興味深くつくられた舞台設定が、独特で印象的なことばと、やや不条理を匂わせる長くてリズムあるセンテンスで語られているところが、この作品の魅力のように感じています。