gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


分かっているのに居心地悪い

この記事を読んだ。

仕事をそんなふうに「わかっていた」ことは一度もない

そこにこんなことばが出てくる。

「わかっていてもわかっていなくても居心地悪くはない」

たしかに、分かっていれば居心地いいはずなのに、居心地悪い感じがするときがある。

居心地いいっていうのは、たぶん満足感のようなもの。

たとえば、遠くまで歩いたあとの帰り道、分かれ道で片方の道を選んだあと、「これでよし」と自分に声をかけている少年のような気持ち。

そこには、たとえば60%の記憶と20%の推理に10%の勇気、そして10%のそれらすべてへの誇りとが入っている。

そして、たとえその選択がまちがっていたとしても、それはそれでオーケー!という楽観主義も少々。

分かっているのに居心地悪いっていうのは、たぶん、道についての記憶(知識)が少なすぎたり、その記憶を生かす推理をしなかったり、その2つがあっても不確実な未来へ一歩踏み出す勇気がなかったりするからだろう。

そしてだから、誇りをもてず、楽観主義もからまわりする。

「仕事を覚える」とは、たとえばこの分かっているはずなのに居心地悪いというわずかな心もちを、大切にすることかもしれない。

Tak.さんの、いろいろ考えたくなる文章を読みながら、そんなことが分かった気がした。

(で、居心地いいかどうかは、今のところヒミツ... 笑)