on outline processing, writing, and human activities for nature
大きな街にある小さな保護区のレンジャーを、していたことがあります。
そこは、生きものたちのくらす場所をまもる役割だけでなく、生きものたちのために何かしたい人たちが集まり、情報交換し、エネルギーを蓄える場としての役割も目指していました。保護区の中心になるネイチャーセンターというログハウス風の建物には、展示室からバックヤードまで、スタッフ以外の人も普通に出入りし、イベントや森の管理作業、調査などの企画と準備をする場になっていました。
集まってくる人たちは、イベントや調査活動のプロとしてではなく、自分の仕事を別にもちながら、母親や父親、ひとりの成人女性や男性、あるいは中学生や小学生として生活しながら、活動していました。フィールドやネイチャーセンターで語らい、やりたいことを見つけ、似た興味をもつ人どうしが一緒に、そうでない人どうしも必要に応じて集い、保護区を拠点にしながら、それ以外の場所でも活動していました。
ぼくたちは、その人たちを欧米に倣って「ボランティア」と呼んでいました。保護区をつくった母体のひとつであるY市で役人として働く人たちの意識は高く、このボランティアたちこそ、Y市を変える活動の主役になる人であると考えていました。
ぼくたちレンジャーは、ボランティア活動のコーディネイター役も担っていました。今思うと、保護区をサード・プレイスとして機能させる役割も果たしていたのだと思います。
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ところがその翌年、新しくできる別の保護区のレンジャーとして赴任したとき、その母体になる別の行政の方たちの使うボランティアという言葉がY市とちがっていることに気づきました。無償で仕事を手伝ってくれる人たちと考えていたのです。
保護区運営の仕事を、自分たちはお金を払って、あなたたち NGO にお願いしている。お金は十分に払っている。だから、その保護区にボランティアは必要ないはずだ、と事あるたびに話していました。「ボランティアを受け入れる方が、自分たちで作業するよりかえって仕事が増えるなんて理解できないし、それなら自分でやった方がいい」という意見です。
今となってはなつかしい思い出ですが、行政の方たちと、ほんとによくケンカしました (若かったですね)。ボランティアという言葉には、無償で作業を引き受けるという意味が含まれています。英語の volunteer もそうだと思います。ですから今のぼくは、その方たちのボランティア観もまちがっていなかったと冷静に言うことができます。
ふりかえると、行政の方たちも太っ腹で、生意気な若造の話しによくつき合ってくれました。同じ NGO の上司や同僚たちも、街の保護区でボランティアといっしょに活動する意味を、根気よく説明していました。その成果もあって、新しい保護区も、ボランティアを受け入れることのできる施設としてオープンしました。
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それから20年以上たった今、Y市の保護区のボランティアのような人たちが、日本の色々な場所に増えてきたと感じています。生きものを保全する活動が活発になったかどうかはさておき、家庭や職場とは別の第三の本拠地をもつ人たちの数がどれくらいなのか、想像するだけでもワクワクします。
そして、そろそろそういった場に集まる人たちの呼び名として、「ボランティア」以外の新しい言葉があるといいなとよく考えます。
そうですね.. たとえばそれは、自分の居場所は家庭と仕事の2つだけと考えている人たちに、新しい可能性を教えてくれるようなかっこいい名前です。