on outline processing, writing, and human activities for nature
大学の学部生だった頃、文化人類学の研究室に混ぜてもらい、セミナーに参加していました。そこは、アフリカのサバンナにくらす小さな部族の文化から、下北半島の巫女社会まで、いろいろな地域の文化や社会を調べている人たちの集まりでした。
そのセミナーに出て、自分が知っている人の社会が、いかに型にはまった小さなものだったのか、何度も実感したことを覚えています。
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人の社会を研究するとき、ワクワクする出来事に出会うことも多いですが、研究対象の人たちの生活に踏み込みながら、でも一歩引いた視点をもちつづけるという、難しい作業を強いられることにもなります。きれいごとだけで済まない事実を知ることにもなります。今思うと、そんな難しくて大切なしごとを、20代の学部生や大学院生もやるなんて、本当にすごいことだと思います。
セミナーでも、重い事実の報告を聞くことが、少なからずありました。そんな空気になると、その研究室のボスである K さんは、いつも「酒もってこい!」と怒鳴ります。その声を聞くや否や、経験の長い博士課程の人が、すぐ一升瓶をとりに走ります。
そのあとは、みんな半分酔っ払いながら、大笑いしたり、泣き出したり。研究という視点から一歩離れた形で語り合うことをとおして、学生たちはひとりの人として、そしてひとりの研究者として、育てられたのだと思います。K さんは、ぼくが知っている唯一の一本独鈷な先生です。
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さて本題。そんなセミナーできいた話しの中でも、とくに印象に残った話しがあります。たしか、修士過程の院生が1シーズン、どこかの南の島に住み着いて集めたデータの報告でした。
南太平洋に浮かぶその珊瑚礁の島では、おもな生業が、ヤシの実を収穫することなのだそうです。そして、そのヤシの実採りがとんでもなく重労働で、その仕事をできる年齢がたしか20代前半まで、という話しでした。
つまり、この島の就労年齢は、高いヤシの木に登って、その実を収穫できる10代から20代前半の10年あまりの期間になります。そして、たしか遅くても30歳を超えると、みんなが隠居生活に入るという話しでした。
当時41歳だったメンバーが、「ほな、ワシはもうバリバリの隠居年齢やんか」と悲しそうな、でもうらやましそうな顔をしながら笑い出したことも、よく覚えています。その島でくらす人々は、隠居としてくらす時間がとても長い人生をおくるのです。
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今思うと、そんな島の話しには、不思議なところがあります。人はヤシの実を食べるだけでは生きていけませんし、海で魚を採って腹一杯になったり稼いだりしたい、という人も増えそうな気がします。
ヤシの実だけで暮らすには、たとえばヤシの実に高価なお金を支払う、島の外にある社会が関わっている可能性もありそうですし、何よりも女性の視点がありません。ヤシの実をとるのはたしか男性の仕事で、女性には別の仕事があるはずです。
たぶん、ぼくの勘違いや、忘れてしまったことがあるのだと思います。
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でも、とにかくこの話しをきいたとき、ぼくたちは、この島で生まれ育った人たちが、自分たちとは大きくちがう価値観の中で生きていると、感じました。そして、この島で生まれた子どもたちは、いったいどんな人生観をもっているのだろうと、考えたりしました。
きっと子どもたちは、ヤシの実採りの時代を思い浮かべることが多いでしょう。どうやってヤシの実採りの達人になるかを考えたり、島一番のヤシの実採りヒーローに憧れているかも知れません。
でもそれと同じくらい、ヤシの実採りからリタイアしたあとの数10年のことを考える子どもたちもいるのではないでしょうか。生業から離れた人生を過ごす時間を、より真剣に考える子どもたちも多いのではないでしょうか。だって、その時間の方がずっと長いのですから。
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就労年齢という、日本や欧米などで生まれ育った人にとってほぼ決まっていると考えがちなものでも、地域や文化によって、そしてそれを支える自然によって、大きなバリエーションをもつ可能性があるのです。
つまり、それをひっくり返して考えると、人間にはそのちがいを受け入れられるポテンシャルがあることになります。もし、そうだとしたら、本当にそれはすばらしい。
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仕事に追われてる気持ちになったとき、ひとつの思考実験として、ぼくは今もよく、この南の島の人たちの生活を思い描くことにしています。
そうすることで、仕事というものの比重が小さい社会の育てる価値観を、少し具体的に思い描くことができるからです。