gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


キー・イノベーションとしての幸福感

しばらく働いた環境系NGOをやめて、大学院の修士過程に入った頃のこと。

働きながらつづけてきたツバメの研究に専念できることが、うれしくて仕方なかったぼくは、少し張り切って平塚の丘陵地を新しいフィールドに選んだ。そこにはいくつもの木造牛舎があり、春先から夏の終わりまで、たくさんのツバメが集まって子育てしていた。

いちばんよく通った牛舎は、ホルスタインを30頭くらい飼っている牛舎だった。毎年20つがい以上のツバメが巣づくりし、低い天井には100個近いツバメの巣があった。中には20年近く使われてきた、大きくてがっしりした巣もあった。

牛舎に集まったツバメたちは、にぎやかな1日を過ごす。4月の初め、関東の平野でサクラが咲く頃、日本に渡って来たばかりの雄ツバメたちは (よく見ると、雌より少し尾羽が長い)、畑と森のモザイクの中にある牛舎や倉庫、母屋に囲まれた小さな広場の電線や屋根にとまってさえずり合い、警戒声と呼ばれるするどい声をだしながら追いかけ合いを始める。

雌ツバメたちは、雄よりもやや遅れてくることが多い。雄が「これどう?」って感じでみせてくれる古巣や、巣をつけやすそうな壁などを品定めして、気に入った場所があれば本格的な子育てに入る。

すぐそばに、別のつがいの巣があったりすると、激しい戦いが始まる。雄どうしのけんかは儀式的で、直接体どうしをぶつけることは少ない印象。一方、雌どうしの戦いは、小さな破裂音のようなものが聞こえたりする厳しいもので、2羽がとっくみあったまま、牛舎の床に落ちて濡れねずみになったり、牛に踏まれそうになったりすることもある。

雌ツバメが、これほど激しいけんかをするということは、彼女らにとって、他の雌が近くで子育てすることがリスクになることを示している。この雌のリスクは何か、そして、嫌なことがあるにも関わらず、ツバメたちはなぜ牛舎に集まるのか、という問いが、やがてぼくの大学院でのテーマに育つことになる。

その牛舎は、当時80代後半になるおじいさんが、1970年か80年頃に始めたものだった。第一線を退き、朝5時から夜9時まで、忙しそうに牛たちの面倒をみる息子夫婦を楽しそうに見まもるように、ゆっくり庭を歩きながら犬の世話をしたり、裏山を歩いたりしていた。

なので、日がなツバメに色足環やペイントマーカーで小さくマーキングして、1羽1羽に名前をつけて観察したり、巣の卵や雛を測ったりしているぼくは、おじいさんと一緒に時間をすごすことが多く、よく話しをした。

最初に牛舎を見つけたとき、ここのツバメたちを観察させてほしいと相談したのも、おじいさんだった。目をまるくして、そうなのか、こいつらをケンキューするのかワッハッハと笑い始めた姿を、よく覚えている。

何10年も牛舎を経営してきたおじいさんの体は、うらやましいほどに逞しくひきしまっていて、いつも微笑むように、牛や犬たちをみていた。一言で説明するのは難しいのだけれど、牛は牛、犬は犬として接していて、その牛舎にあつまるツバメのことも、ツバメとして接していた。ぼくは、その動物たちとの距離感が好きだった。

ツバメの研究をしていると、ツバメが巣づくりをしているうちの人たちと、たくさん話しをすることになる。その9割くらいの人たちは、ツバメたちをわが子のように大切にしていた。そして、いつツバメがやってきて、雛の顔を見れたのはいつだったなんてことを、うれしそうに話してくれる。とくに新しい住宅地にくらす人たちに、そういった一見家族のようにツバメと接する人が多かった。

ツバメの研究を始めた頃は、自分のうちに巣づくりをするツバメを好意的に受け入れる人が多いなんて、日本も捨てたもんじゃないなと、よく思ったりした。

しかし、そういう人たちの中には、雛が巣から顔を出す時期になると、巣の下におちるフンを嫌い始める人が少なくなかった。「じゃまにならない」ところに巣を移動する方法はないかと、訊く人も多かった。

もう少し早い時期なら手はあるのだが、ツバメが卵を産んだり雛が孵ったりしたあとに巣を動かすことは彼女らに迷惑をかけることになると伝えると、困った顔をしていた。そして翌年、ツバメがもどってくると、こっそり追い払ってしまう人たちも割と多かった。

ツバメは、猫や犬たちとはちがって、自分たちで食べものをとり、自分たちで巣をつくるところを選び、自分たちで何千キロも渡りをしてくらしている野生の生きもの。その彼らが、自分のうちを巣づくりの場所として選んだときにそれを受け入れることは、それなりの覚悟が必要になる。

人間のルールというか、気持ちを押しつけていいところもあるけれど、ツバメに迷惑をかける場合もある。もし玄関にフンが落ちるのが嫌で仕方ないのだったら、ツバメが巣づくりし始めた最初に、しっかりとお断りをする、つまり、ツバメを追い払うのが一番だと、ぼくは考えている。そうすれば、そこで生まれた卵や雛たちを死なせずにすむ。

もし、巣づくりを受け入れたのならば、玄関や車庫の車に落ちるフンも受け入れて、まめに掃除したり巣づくり中は車を外に出しておいたりするくらいの覚悟は必要だが、それを理解してもらうことは難しい。「ここは自分たちのうちなんだから、それは困る」と、多くの人間家族は胸をはってぼくに主張する。

勇気を出して言うと、「自分たちのうち」というのは人間の決めたルールにすぎない。

話しが、それてしまった。

おじいさんはよく母屋の軒下に立ち、牛舎や、そこにいる牛たちや、にぎやかに飛び回るツバメたちを眺めていた。晴れの日も雨の日も。同じ軒下から双眼鏡でツバメを追いかけてノートしているぼくに、まずは、そうかこいつらをケンキューしてるのか、ワッハッハとあいさつをしたあとに、よくこんな言葉をつづけた。

いやいや、ほんとにこいつらは飛ぶのが好きだよ。こんなに嬉しそうに飛ぶヤツは、ほかにいないよ。やっぱり、そう思うんだよ。

しみじみ話すおじいさんの視線の先には、雌ツバメが1羽。庭の地面すれすれを高速で飛び、倉庫直前で宙返りするように旋回して、また低空飛行して、今度は牛舎の手前で急旋回して超低空飛行を繰り返す。と思っているうちに体を捻ってコースを変え、パシッという小さな音が聞こえる。これは、同じように高速で飛ぶアブをツバメが嘴でつかまえた音。

アブが大きくて、彼女のくちばしでは扱いづらかったのか、真上に上昇しながらそのアブを一度放し、宙返りして急降下しながら、放物線運動するアブをもういちどパシッとくわえなおす。地面すぐそばまでダイブしてから一気に屋根の高さまで急上昇、その勢いがとまるあたりで何回か、ダンスするように、左右に素早く swing したか思うと、すっと牛舎の窓の中へと消える。雛たちに餌をあげるのだろう。

生命の樹という言葉がある。40億年という時間の中で、生きものたちは、それまで一緒だった仲間と袂を分かち、別の道を歩み始めることを繰り返してきた。人類は、チンパンジーの祖先たちと200万年前のアフリカで別の道を歩み始め、ゾウは、ツチブタやジュゴンの祖先たちとおよそ8000万年前に袂を分かち、鳥は、たぶん1億5000万年前に恐竜たちに別れを告げた。

こうした枝分かれが果てしなくつづけられ、地球に生えた生命の樹は、少なく見積もっても500万の枝をのばしている。

キー・イノベーション key innovation という語を聞いたことがあるだろうか。生きものの進化の中で、その後の多様性のブレイクスルーにつながるような、つまりその形質が生まれたあとに、たくさんの種が生まれるような、画期的な形質の進化を指す。

たとえば鳥のつばさ。この道具を手にした彼女らは、空という、他の動物たちが使うことのできない広大な空間を使うことができるようになり、そこから、何千という新しい種がこの地球上に生まれた。

つばさほど大きくないキー・イノベーションもあり、それが、一緒に進化してきた仲間と袂を分かつきっかけになるときもある。この地球上にくらすツバメの仲間は、およそ70種。鳥の中でもとくに空を飛ぶ生活に適応した系統だと考えられており、彼女らの祖先が、アフリカ大陸のどこかで、空を飛ぶ生きものを飛びながら捕まえるスペシャリストとしての道を選んだ可能性が高い。

空を飛ぶ虫は、空気中に満ちあふれているわけではないし、当たり前だけど飛ぶことが得意だ。そんな生きものを捕まえる鳥は、もっと飛ぶのを得意にする必要がある。

ツバメのデザインは、飛ぶのを得意にするために何が必要なのかを、端的に教えてくれる。長く先の尖ったつばさは、肩から手首までよりも、手首から先が極端に長い。鎌のように尖っているけれど鎌のように硬いのではなく、しなやかな強さを備えている。頭から体にかけての滑らかな流線形のラインは、丸過ぎず、長過ぎず。肩のあたりが一番太く、尾に向かうほどなだらかに尖る紡錘形をしている。

こういうことは、写真や図鑑でたしかめることができる。でもやはり、来年春になったら、一度でいいから飛んでいるツバメをゆっくり見てあげてほしい。それは、彼女らが生きている瞬感である。弱肉強食とか熾烈な生存闘争といった言葉や、癒されるとか愛に満ちた生活といった言葉では表現できない、ほんとうの生活を生きている瞬感である。

ツバメは、飛んでいる瞬感に、飛びながら飛ぶ虫を追いかけている瞬感に、躍動する。人間的な言葉にすると、それがたぶん幸福感なのだと思う。空を飛ぶことは、それまでの鳥たちのほとんどが身につけた技だったが、さらにそれを研ぎ澄ます道を、彼女たちは選んだのだ。それが、彼女らの系譜のあかしである。

牛舎のおじいちゃんは、生態学やら何やら、しちめんどくさいことは知ったことじゃないけど、とにかくこいつらは飛ぶのが大好きだよなと、尊敬するような羨ましがるような、でもオレはオレ、ツバメはツバメって感じで話していた。

じゃぁぼくたち人間はいったい何が大好きなんだろうと思ったとき、ぼくは、モンキーセンターで出会ったゴリラの知的な瞳を思いだし、アフリカのサバンナか疎林で、石の道具を静かに嬉しそうに黙々とつくっているルーシーを想像した。

学部時代にニホンザルの社会を研究したぼくの研究室では、人類の起源についてアツイギロンが、ほんとにつば飛ばしながら繰り広げられることがあった。そのときのぼくたちのシンプルなアイディアは、人類の始まりは、つくった道具をいつも持ち歩くようになったときに始まった、というものだった。

そして、道具を常備するきっかけのひとつが、道具を改良したり、その使い方に熟練したいという気持ちであり、そのご褒美が幸福感ではないか、というのがぼくのインチキ仮説。

そういった意思と呼びたくなる様な意識の動きをつくりだす心の進化が、実はけっこういろんな動物のキー・イノベーションになっていて、人類の場合は、道具とそれをつくったり使ったりする技への情熱が、そうだったんではないか、という考えである。