gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


Storm

見上げると、雲が高速で飛んでいる。落ち葉が飛んできたかと思うと、ごうという音といっしょに風が吹きつける。

実を言うとぼくは、こういう瞬間が好きだったりする。

 

たとえば、房総の森でニホンザルを調べていた3月、何度も嵐がやってきた。

見晴らしのいい崖にでて、その下にいるサルたちを見ていると、森ごと飛んでいくのではないか思うほどの、強い風が吹く瞬間がある。森の天井をつくる木は、ちぎれんばかりに、風に引っ張られている。そして、雨の塊が突然やってくる。息もできないくらいの雨が顔にぶつかる瞬間もある。

そういう瞬間、そういう場所にいる自分が、なぜか嬉しかったりする。

 

遠くの森が波打ち始めたかと思うと、地鳴りのような音といっしょに、森のつくる波が、こちらへ向かってくる。大きな房総の森全体が、大きな波になり、風は風としてこの世界を謳歌している。

その波を、当然のように受け入れているかのように見えるサルたちが、尾根ひとつ向こうにまで移動しはじめる。森の上を歩けない人間のぼくは、崖の反対側にある道を駆け足でくだり、森の中に入る。

すると、そこは驚くほど静かだったりする。

 

森の地面に降りたサルの母親と子どもたちが、まるで晴れている日と同じように落ちたドングリをひろい、口に入れる音が聞こえる。細い尾根道に座った老齢の雌は、娘や孫に喉や肩を毛づくろいされながら、気持ちよさそうに森の天井を見上げている。

サルたちは、嵐の中の、この部分的な静けさをよく知っている。

 

そして、終わらない嵐はない。つい30分前までの喧騒が止み、未だに高速で飛ぶ雲の隙間から太陽が斜めに森や崖を照らすとき、ありきたりかもしれないんだけど、あぁ、生きるっていいなと思ったりする。