gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


星空の効果

岩手県の花巻に、野外調査のため滞在したときのこと。

調査フィールドにしている田んぼの夜のようすをみようと、しっかり日が暮れたあと、小高くなった田んぼの中をまっすぐとおる農道を、車で走った。舗装していない、車1台がやっととおれる道。目を閉じても走れるというのは言い過ぎだけど、勝手知った道なので、暗い中でも緊張感はほんの少し。

ほどよい場所で車をとめ、ヘッドライトを消してエンジンを切る。近くからは「ころころころ」とエンマコオロギの声が聞こえ、遠くからは「ルールールー」とケラの声が低く響いてくる。いつものように深呼吸して車の外に足をふみだすと、息を飲むほどの星空。

西の空 1/3 くらいを雲が覆い、その地平線は花巻の市街地の灯りに照らされ、うすいオレンジ色と灰色に染まっている。手前にある雑木林がとおく、影絵のように見える。赤と青の灯りが点滅しながら、ゆっくりと降りていくのは、空港におりる飛行機だろう。

そして、それ以外の空には、一面の星。天の川がはっきりとみえ、ああ、久しぶりに白鳥のデネブをみつけたなと心の中でつぶやく。その天頂から天の川ぞいに地面に向かうと、見慣れたカシオペアがある。そうそう、カシオペアは天の川の中にあったのだ。

北の地平線近くには、おおぐまが地面を這うように大きく横たわり、こぐまを形づくる北極星やほかの星たちも、その上でまたたいている。カシオペアやおおぐまのまわりにこれほどたくさんの星があることは、つい忘れていたなぁと、もう一度心の中でつぶやいてみる。

「心洗われるような星月夜」と人は言ったり、書いたりする。たくさんの星をみると、人はなぜ、そんな感情をもつのだろう。

星座やそれをめぐる神話やおとぎ話しも興味深いけれど、星におおわれた空の効果は、それとは別にあるのではないだろうか。100億光年の空間に散らばる、100億年にわたる時間の光がみえているという科学の説明がなかったとしても、たぶんぼくたちは、同じ感情を星空に抱くだろう。

金色に光る田んぼと雑木林の風景の美しさを目にしたときの、悲しいような嬉しいような気もちとは、少しちがう。100年前に描かれた夕日に染まるヴェニスや、強い風の中荒れ狂う海の絵をみたときの心をつかまれるような気もちとも、少しちがう。もっと静かで清々しくて、大きな心の動き。

人は街と灯りをつくり、星を失った。毎晩、何千もの星をみていた人々のたくましさは、もしかすると、今とはちがったものだったのかもしれないと、考えたりした。