gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


プロジェクトとタスク

GTD の本などで、プロジェクトはタスクの集合とされています。でも、タスクの集合は依然タスクと呼びたい場合もあるし、プロジェクトと呼びたい場合もあります。プロジェクトには、タスクの集合だけではない何かがあります。

では、ある場面でタスクと呼びたかったものが、別の場面でプロジェクトに変化することはあるでしょうか。

もちろん、あります。たとえば「牛乳を飲もう」は、一見するとプロジェクトとは呼びたくない小さな希望です。でも、あなたが、コンビニや牛乳屋のない国、牛や牧草の育ちにくい国に暮らしている場合、「牛乳を飲もう」は一大プロジェクトになるでしょう。

「牛は、ヤギとちがってその辺の草を食べるだけでは生きていけない。牛が生きるのに必要な食べものを育てたり、確保したりする必要がある。それに、子牛が生まれなければ母牛は乳を出さないから、雄牛や生まれた子牛の分まで食べものを準備する必要もある..」といった具合に。

では、プロジェクトがタスクに変化することはあるでしょうか。

これも、もちろんあります。たとえば、あなたが育てた牛の牛乳を飲んだあと「牛乳だけじゃなく、飲みたいものをみんなが苦労しないで飲める町をつくりたいなぁ」とか「いや、まてよ。牛乳なんかなくても、みんなが大笑いして楽しめる町の方がいいかなぁ..」といった具合に考えたとき、「牛乳を飲もう」はもはやプロジェクトではなく、タスクの目的と呼びたくなるかも知れません。

ぼくは、こういうプロセスを、考えの階層が上がると呼んでいます。

話を分かりやすくするため、ここでは、プロジェクトとタスクの入れ替わりがゆっくり進む場面を説明しました。でも本当は、もっと短いあいだにプロジェクトとタスクが入れ替わることが多いと思います。仕事が終わって自宅へ帰る途中、大切な家族から「牛乳飲みたい」と電話があったとき、少なくともその瞬間の「牛乳を買う」は、あなたにとって一大プロジェクトになるはずです。

ぼくは、プロジェクトとタスクをそんな風にとらえておけば良いと思っています。

そうそう。「牛乳を飲もうプロジェクト」で始まった牛さんとの楽しい生活ですが、実のところは、階層が上がったあともあなたのライフ・プロジェクトでありつづけることも多いでしょう。こういったプロジェクトの増加も、生きていく上で必ず出会うことです。その問題とうまくつきあう方法も、考えの階層を上がることに関係していると、ぼくは考えています。

  1. この文章は、以下の記事を読みながら考えたことがベースになっています。1)「アウトライナーフリーク的タスク管理論・序説」, 2)「世に『タスク管理ツール』はありません」, 3)「Weekly R-style Magazine」 の GTD 関連記事ほとんど.