gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


Peter

 モンゴルでの彼との想い出を最初の記事にしたのは、1年以上前。そのあと、勇気をだして彼のことを Google してみたら、覚悟したとおり、彼はもう亡くなっていた。

 2014年5月。白血病だったらしい。連絡をとらなかったことを、少し後悔する。彼が何度も自慢してくれた奥さんの、悲しむ姿が浮かぶ。会ったことも写真をみたこともない彼女の顔が浮かぶのは、彼の描写力がすばらしかったからだろう。そして、Wikipedia にある彼の写真は、ぼくが知っている Peter より少しだけ優しくなった感じ。

 彼は1979年を最初に、大きな文学賞やメダルを合計8つ、ノンフィクションとフィクション、両方の分野で受賞していた。彼の国では、ぼくが思っていたより100倍くらい、人気のあった作家らしい。

 幸いにも (?) 日本語訳は少ないようで、旅から帰ったあと、まわりからいろいろ言われたりはしなかった。熱心なファンが少しだけ同僚にいて、あれこれ聞かれたことは覚えている。でも、ファンの期待するような話をできなかったせいか、ぼくがそういう話を嫌っているようにみえたのか、Peter の話題もたまにしか出なくなった。

 個人として出会った人のことを Wikipedia などの記事で読むのは、何となく嫌で避けてきた。自分のしっている大切な個性を、踏みにじられる感じがするからだと、ぼくは勝手に考えている。

 小さな驚きもあった。その記事によると、彼は作家であり自然の中に生きた文筆家だったが、諜報機関のエージェントでもあったという。

 今のところ、ぼくはこの話をほとんど信じていない。若いころから何10という国をめぐり、ノンフィクションやフィクションの名作を残した彼の本職が、エージェントだったという物語りは、ありきたりな気がする。

 でも..。彼がふとみせた険しい表情を思い出す。彼から感じた、強靭な生きる意志を思い出す。もしかすると、と自信がゆらぎかけるが、すぐに考えを変える。

 かつて海外で、偶然出会った何人かの諜報機関エージェントの目は、Peter の温かい目とまったく異質だった。外国人の出入りが制限されていた国の、小さな町で出会ったエージェントの彼らとは、少ししか話さなかった。にも関わらず、平和な国で生まれ育った自分の幸運を心底実感した。落ちついた物腰で、親切に接してくれた彼らの瞳の奥にみえた深遠を、ぼくは一生忘れないだろう。

 Peter の目は、訪れた国の人々がつくりだす文化や、そこにある野生 wilderness や自然 nature への、尊敬や畏敬の気持ちと好奇心であふれていた。そういう眼差しをもちながら諜報活動できる人がいるとしたら、ぼくにとって、それはほんとうに奇跡だ。

 だからぼくは、ネットでみつけたこの情報を疑っている。人には、演じることのできない部分がある。ぼくはそう信じている。もちろん、それを超える事実があるとしたら、それはそれですばらしいけれど。