gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


海辺の街

 たまに海辺の街に行くことがある。夢の中で。大きくはなくて、たぶん1000人くらいが生活している街。その街が夢に出てくると、ああ、また来たなと思う。

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 そこには、東側に海があって、防波堤の役目もかねた道の西側に街並みがある。道は白いコンクリート製で、車がやっと2台通れるくらい。ガードレールなんかついていない。その道に立って海をみると、水平線にたくさんのディンギーが浮かび、その中に大きなクルーザーが美しい三角形の帆を広げていたりする。振り返って街を見ると、漆喰や石でできた2−3階だての建物が、細い路地を挟んで寄り添うように建っている。たしかではないけれど、白や淡い黄色がかった壁の建物が多い。すぐ背後には急斜面の山が迫っている。

 街からは、どこに行っても海の音が聞こえ、潮の香りがする。日本のカモメとはちがう、別のカモメの声がいつも聞こえている。少なくともウミネコじゃない。犬たちは鎖で繋がれたりせず、砂まじりの地面で、だいたいは猫と一緒に眠っている。飼い主を信頼しすぎているのか、侵入者に対して吠えるなんてしない。

 その街の人たちは、日本語でも英語でもない言葉を話している。そして、ぼくも普通にその言葉を話す。どこの言葉か考えようとするんだけど、こんなに自然に話すことができるのだから分かりようがないやと、いつも諦めてしまう。外見からするとヨーロッパ系の人が多いように見えるけど、アジア系も少なくない。道の海側はすぐ海で砂浜もないから、海が荒れると、波のしぶきがその道を超えて建物にかかったりする。でも、そこに暮らす人たちは、もうそんなことに慣れているようで、気にしていない様子。

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 小さめの車で海岸沿いの道を走りながらその街が見えてくると、少しなつかしい気持ちになる。ひとりのときもあるけど、カミさんが助手席に乗っていることも多い。いつものようにナビゲーションしながら、通り過ぎた磯で見かけた鳥の群れのことや小さな子どもたちのことをいろいろ話してくれたりする。気に入った形の家があったりすると、その解説も織り交ぜながら。

 その街には、嵐の中たどり着くこともあるし、抜けるような青空の下やってくることもある。たぶんあまり北の街じゃないと思うんだけど、寒いこともある。そこに暮らす人々には、彼らの生活があって、忙しそうにでも冗談言ったり、大声で笑ったりしながら、元気に働いていることが多い。ぼくたちは、そこに住んでいる人のように扱われるし、たぶんその街の、ちょっと山側に入ったあたりに家か部屋をもっているらしい。でも、夢の中でそこへ行ったことがない。

 海沿いの車道にあるパーキングエリアというか広場のような場所に車をとめ、潮の香りを感じながら石でできた細い階段をおりると、細い路地が建物と防波堤のあいだにのびている。その防波堤側の壁には、自転車や何に使うかわからない板が立てかけてあったりする。路地の遠くには、とれた魚を乗せた小さな荷車のようなものが見える。そこから、これも見慣れた道を選んで山側へ歩いていると、だいたい仕事帰りの誰かと出会い、まあ、俺んちに寄ってけという感じで彼のうちへ行って、元気そうな奥さんにカミさんが背中たたかれりたりしているところで、だいたい目がさめる。

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 こう言うとなんだけど、ぼくは超常現象もスピリチュアルなできごとも、まるっきし信じていない。でも、その街はその歴史を自分たちで刻んでいることを感じる。ぼくの頭の抽斗で、その街はその街の歴史を刻んでいる。なので、ちょっとだけ期待している。ある日、夢ではなく本当にその街に行けることを。なんだ、ここだったのか。やっと来れたな、と思える日のことを。

 これも人生の、生きる活動の、小さな醍醐味だったりする。