gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


あなたは可哀想なシャーロックではない

自分の研究を進める上で、もっとも難しい段階は2つあると思う。

(ここでは、研究という言葉を広い意味で使っている。日々の生活を通して取り組む謎解き、といった意味)

ひとつは、自分の研究を通して取り組んで行く問いを選ぶ段階。

その問いの答えを探す価値を、他の多くの人が理解できない場合、その成果をだれも聞いてくれないし、だれも応援してくれない。こういう状況で、問いに取り組みつづけるモチベーションを維持することは難しい。

だからと言って、他の人には大事だけど自分には興味の無い問いに取り組みつづけることも難しいし、仮にそれができたとしても、それはより大きな意味でまちがっている。たぶん..。

ミステリーに登場する探偵や刑事たちは、この部分に悩む必要はない。目の前に転がり込んできた殺人事件の解決は、自分にとっても、他の人にとっても価値ある場合がほとんどだからである。

もうひとつの難しい段階は、その問いの答えが見つかった(自分の答えの案をテストしてその妥当性が示された)あと。

妥当な答えが見つかった、で、それはどういう意味をもつのか。大げさに言うと、その答えを手にした人類が、つぎの一歩をどう踏み出せるのか。

ミステリーの探偵たちも、同じ悩みをもつことが多い。たとえば、犯人を見つけた。でも、犯人が犯罪を犯した背景を考えると、犯人はむしろ被害者である。本当にこれで事件解決なのか..。

でも、探偵の立場になって考えると、実は先へ進むことができている。犯人探しだけでは、事件解決に不十分であることに気づいたのだから。

たとえば、人種差別問題の被害者でもある犯人を生み出さない社会の仕組みづくりこそが、桁違いにたくさんの事件を解決する可能性があると、気づくことができたのだから。

こうして、リアルな探偵や刑事たちは、たとえば社会を変える活動を始める。でも、大変残念なことに、ミステリーの中でしか生きられない架空の探偵たちは、ずっと悩みつづけることになる。

だって、地道な草の根活動に夢中になっているシャーロックの物語りを、喜んで読みたいと思う人は、殺人事件の難解なトリックにチャレンジするシャーロックを読みたい人より、少ないだろう。

(おお、可哀想なシャーロック)

リアルなあなたの研究でも、あなたは自分の分野にこだわる必要はない。新しい大きな問いに取り組めばよいのだ。

そして実のところ、そういった活動こそ、何と言えばいいか、この世界ならではの味わいある、難しくもやり甲斐あふれる問いが多いことは、皆さんご存知の通り..。

(もちろんこれは、直接社会に役立つ研究だけが大事、というお話しではないし、ぼくはシャーロックや他のミステリーの大ファンでもある)