on outline processing, writing, and human activities for nature
この月について書かなければいけない。駅を出て空を見上げたとき、西の空に浮かぶ月をみて、ぼくはそう思った。
時間はもう夜で、空のことは、月の光や星の光をとおして見るしかできない。空を見渡しても、星は見えないから、雲が空全体を覆っているのだろう。
そして、月のまわりだけが、円盤のように明るくなっている。まだらの円盤。上空を吹きすさぶ高速の風に流される雲が、そのまだら模様を瞬間も同じ形にとどめたりしない。
その中心にある月は、驚くほどに安定した月の光る部分は、三日月よりも少しだけ円に近い。
見るべきものは、その光る弧ではない部分にある。それはもちろん、漆黒ではない。空全体の黒よりも少し青く見えるのは、ぼくだけだろうか。
白く光る部分から、影の部分に目をうつしたその瞬間から、月は球体になる。この球体を感じるとき、ぼくは、宇宙の広がりの少しを、理解できた気持ちになる。
満月が球ではなく円盤に見えるのは、皆さん、ご存知のとおり。これは、太陽の光の偉大さによるところが大きい。ぼくたちが、宇宙を理解するには、太陽の光は強すぎるのだ。
ぼくたちが、自分の惑星を生んだ宇宙を感じるために見るべきものは、おそらく満月の完璧な円ではないのではないか。太陽の力が十分に弱まる、このときではないか。
高速で形を変える雲は、地球上空の物理法則の味つけまでしてくれている。
この多くのことを語っている月について、ぼくは書かなければいけないと思った。