on outline processing, writing, and human activities for nature
小雨混じりの花巻。
田んぼのあいだをとおる道に入って
カエルとネズミの調査をしたあと、
車のフェンダーの上にアマガエルがひとつ。
よく見ると、そのカエルの腰の上にはクモがひとつ。
アマガエルにしては顔がちょっと縦長なのは、
まだ尻尾が少し残った
つまり、オタマジャクシが10%くらい残った
アマガエルだから。
クモはたぶんハナグモの仲間で、
畔や農道に咲く草の花につかまって
やってくるハナアブやハナバチを待ってるヤツ。
まだ10%オタマのカエルが
なぜぼくの車に乗っかって、
花で待つハナグモが
なぜその腰骨に乗っているのか、
その謎はおそらく
永遠に解かれないだろう。
子どもの頃は、この永遠に解かれない謎の多さが
ちょっと哀しくて、怖かった。
それから長く生きて、
こうした小さな偶然のような
何百万、何十億、そして何兆もの出来事の共同作業が
このぼくであったり、この花巻であったり
あるいはこの地球や宇宙であったりすることを学んだ。
だから、それだけでも
「めっけもん」なのである。