on outline processing, writing, and human activities for nature
カフェ・シリーズ、その2。ぼくは海外へ行っても、隙があると、やはりカフェに行く。自分の町と同じように、オリジナリティのある珈琲を探すためもあるし、それ以外の理由もある。
イースト・サセックス
夏の終わりに長めの休暇をとって、カミさんと英国のイースト・サセックスへいったときのこと。イースト・サセックスは、イングランドの南東部、ドーバー海峡に面した地域。東京なみに一方通行や進入禁止が多くて、高度な街乗り技術を必要とするあのロンドンの市街地から、車で2時間くらい南南東へぶっ飛ばしたところにある。ぼくの知っている英国南部の平均運転速度は、日本の関東地方で運転を覚えた人 (つくばを除く) にとっては、「ぶっ飛ばす」くらいの心構えがちょうどいい。
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思う方向へちっとも行けないロンドンの道路事情には、その2年前も痛い目にあっていたので、あらかじめカーナビつきのプジョー206を予約しておいた。外見も内装も普通なんだけど、どちらかと言うとまっすぐに長距離を走るのが心地よい。小さいけれど質実剛健な感じのプジョーらしいプジョー。でも、旅では普通にあることだけど、ぼくらは、カーナビなしのフィアットに乗ることになった。新しいフィアット・チンクエチェント。オリジナルのデザインを尊重した丸っこい外見もよかったけど、少し硬めのサスペンションがぼく好みだった。
念のために言っておくと、カーナビつきに乗れなかったのは、レンタカー会社の手違いのせいじゃなかった。ロンドンのダウンタウンにあるハーツへ行ったら、ぼくらの前に並んでいた女性が「カーナビつきじゃないとぜったいダメ!」と30分言い張って、ハーツのおじさんも「でもマドモアゼル、ご覧になったように可能性のあるところすべてに当たってみましたが、今日はもうカナービ装備の車種はありません。それに、予約がそうなってなかったですし..」と困り果てていたからだ。
このマドモアゼルは、アクセントと服装、そしてその議論の進めからすると、おそらくニューヨークかボストンあたりのビジネスレディ。ぼくらのうしろで待っている家族も、イライラはしていないけど、こりゃ長引くぞという覚悟を決めて、となりのテーブルでくつろぎ始める。そういうとき、ぼくはつい、いい顔してしてしまう。「いいですよ。ぼくたちのがカーナビつきですから、そちらをどうぞ」なんて言ってしまう。そして、助手席でナビゲートするカミさんに、迷惑をかけることになる。
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でも、ほんと彼女には申し訳ないんだけど、カミさんのナビゲーション能力はすばらしくて、情報不完全きわまりない道路地図に前回の経験を組み合わせて、ロンドンの真ん中あたりで大きな公園を2度回りそうになった (2階だてバスの迫力に押されて思わず左車線に入ってしまった) 以外は、効率のよいルートをとって恐怖のロンドン道路をたしか30分程度で抜け出すことに成功した。これはぼくからすると奇跡に近い。
ロンドンの南には、ジョン・プリーストリーが『イングランド紀行』で「イングランドらしくない新しい街」と書いたような中途半端な古さの、でも落ち着きのある街並みがある。無事に市街地を抜けだして、そんな落ちついた住宅地を、ヒンドゥー系の住人らしい家族がのんびり歩くのが見えたとき、丸っこいチンクエチェントの窓から、片手こぶし出して叫びたくなるくらい、ほっとしたのを覚えている。
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イースト・サセックスというのは、たとえば、ジョン・ワトソンと別れ、探偵を引退したシャーロック・ホームズが、養蜂しながら過ごした場所。あるいは、あの A. A. ミルンが息子のクリストファーやプーさんと一緒に暮らしていた場所。そして、ぼくの中では典型的なイングランドの田舎景観。ヒース Heath とよばれるヒツジと人がつくりだした草原が緩やかに波打つ中に、貴族の大きな屋敷や農家、雑貨屋やパブのある小さな集落が点在する。
南端の海岸には、映画やドラマに嫌というほどでてくるセブンシスターズと呼ばれる白い崖や、映画のジョン・ワトソン (ジュード・ロウ) が花嫁のメアリー・モースタンとハネムーンに向かったブライトンという大きな観光の街もある。でも基本は、おそらく地面の半分以上は、ヒース草原で、その残りの半分くらいもマツやナラなどでできたオープンな林。
フットパス Footpath
ぼくたちは、そのイースト・サセックスのちょうど真ん中あたりにある、フォレスト・ロウという名のついた場所の小さめの宿に滞在しながら、フットパスと呼ばれる草原の道を日がな散歩した。英国のフットパスは、日本で言うハイキングコースなんだけど、歩きながら周りの風景を満喫しつつ、イースト・サセックスのどこにでも、いやおそらくブリテン島のどこにでもいけるように整備されたトレイル。歩く人への気配り度合いが、日本のハイキングコースとは決定的にちがうレベルにある。歩く人の、歩く人による、歩く人のための道。
ナショナル・トラストの生まれた国だから、美しい風景やその風景をつくる生きものたち、そこで暮らす人々の生活までもひっくるめて、国や自治体に頼るだけでなく自分たちの手で守っていこうという伝統が、日本よりもずっと育っている。だからこそ、景観をまもるだけじゃなく、それを心ゆくまで楽しむためのシステムも、日本にくらべるとずっと進んだ形で整っているのだと、ぼくは想像している。
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たとえば、何百年か前に建てられた教会横の脇道を入り、小さな、でもしっかりした木の柵を越え、控えめに品よく建てられた木の杭に小さな金属プレートを埋めたサインを目印に、実にイングランドらしい古くて小さいレンガづくりの農家を横目に見たりしながら、放牧地の境界を示すヘッジロウと呼ばれる自然度の高い生垣沿いに歩いたり、いいのかなぁと思いながらヒツジの群れの中を突っ切って放牧地の真ん中を歩いたりする。
そして、「ああ、ここ景色いいな」と思う場所には、だいたいしっかりした木造ベンチがある。そのベンチの背もたれの真ん中には小さいけれど誇らしげに「この土地を誰よりも愛したゲイル・プリチャードを偲んで」なんて書かれたプレートがついていたりする。家族が故人のために寄贈したベンチ。そんなベンチに座って、日本じゃなかなか買えないけど、英国だとどこにでも売ってるような薄くて硬めで粒の粗い黒っぽいパン (名前を忘れました) といい香りのするチーズ、それに日本のより2まわり小さい林檎を、2人で丸かじりするのは最高だった。
8月後半のイースト・サセックスは、日本の関東あたりでいうと10月上旬くらいの気候だろうか。歩くのには最高の気候だったし、雨もほとんど降らなかった。深い青色の空に、たくさんの、本当にたくさんの白い雲が、ありとあらゆる形をして浮かんでいた。小さな森の紅葉は始まったばかりで、草地には、たぶんヒーサー heather と呼ばれる草のように見える低木が、胸のすくような紫色の花を咲かせていた。
シャープソーンのマリオ
さて。フットパスの途中にあるベンチで昼食を食べるのもいいけれど、やはり土地のお店も楽しもうと、近くの町にあるお店で昼食をとることにした。そうして見つけたのが、シャープソーンという小さな集落にあるマリオのカフェ。マリオは名前からわかるようにイタリア人で、この店で働くようになって5年かそれ以上は経ったと言っていた。店主は別にいるのかもしれないけど、ぼくらが訪れたときはいつも、彼が店を仕切っているように見えた。
イタリアへ行ったことのないぼくにとって、マリオは典型的なイタリアのおっさん。そつなくまとめたお洒落な服で決めていてとにかく明るい。店の大きな窓から外をのぞいて「気持ちいい日だなぁ。ちょっとピアノでも弾いてみるか」なんて口走りながら1950年頃につくられた小さなセパレート型ピアノで一曲奏でたりする。
そして、とにかく合理的に話す。まずメニューをもってきたら最初に料理の原材料の説明が1分くらい。「今日、このお店のパイやクッキー、そしてジャムに使っている実は..」と、店の東方向を指差しながら「すべてこのお店と直接契約しているポッターさん。そして..」翻って西を指差し「アトキンソンさんの農場で今朝採れたばかりのものです。ミルクは、ここへ来る途中にジャージー牛を見たと思いますがキャベンディッシュ農場で絞ったばかりのものを使っています。スコーンやクッキー、そしてパンに使っている小麦も..」
原材料の出どころはできるだけ地元、調理や加工するのは自分たち、という飲み物や食べ物を出すシステムにこだわっているからだろうけれど、その流れるような説明と、語彙の豊富さ、そして言葉の切れの良さが、イタリアアクセントの英語にぴったり合っている感じだった。オーダーすると、それぞれの料理について、これまた1分弱、追加の解説がついてくる。その情報がまた、料理を1.5倍くらい美味しくしてくれる。「キャベンディッシュ家の皆さんは実にていねいに仕事をする人で..」という具合に。
ぼくは、たとえば横浜のきどったお店で何だか知ったかぶりしたニイさんに、「今日、厚岸から入った牡蠣は、はっきり言ってオススメですよ。食べないと損ですよ」なんて言われると、絶対別のものを注文するくらいにはヒネクレている。けれど、なぜだかマリオの解説は、食べている料理への安心感を高めてくれたし、ジャージー牛を誇りをもって育てているキャベンディッシュさんの顔を浮かべながらその乳でつくったバターを味わうのは、やはり生きる活動の醍醐味というものだ。
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余談だけど、このマリオに出会ってから、いろんな場所で出会った、薀蓄いっぱいのお洒落なイタリアおっさんは、みんなマリオと呼ぶようになった。カミさんと2人限定の呼び名だけど。
一番近くのマリオは、ぼくたちの暮らす町にある、ジェラート屋のマリオ。このマリオは、手に入れた材料に合わせてその日のジェラートのメニューを変えているようで、これは北海道のどこだかの農場から今朝直接届いたミルクだとか、この木の実は、長野のどこだに買い付けにいったやつだとか、流れるようなイタリアン・イングリッシュで語ってくれる、でも、津波が怖くてしかたないおっさんで、イタリアン・ジャパニーズも達者なはず。
生きる活動をサポートする
フォレスト・ロウに滞在しているあいだ、ぼくたちは何度もマリオのカフェに通い、マリオのお店の料理や珈琲、飲み物を楽しみながら、いろんな料理についての、彼の物語を楽しんだ。
珈琲もまあまあだったけど、アップルジュースがとても美味しかった。たしか4ポンドくらいだったけど、たくさんの林檎を、ジューサーにひとつずつ入れ、2人がかりくらいで、ぎゅうぎゅう押しながら3−4分かけて、一人分の大きなグラス一杯のジュースができあがる。つまり、当たり前かもしれないけど、100%林檎でできたアップルジュース。ただそれだけなんだけど、自然な甘さといい、喉越しの柔らかさといい、飲み終わったあとの後味のさわやかさといい、マリオのカフェが出すアップルジュースは、まちがいなく世界一。
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何度目かにお店に入ったとき、マリオは、ぼくらの姿を見るなり一度奥へ入り、自分のスクラップブック片手にこちらへやってきた。彼が日本に行ったときの写真や切り抜きを見せてくれた。彼がここに来る前、豪華客船で世界一周したときの思い出らしい。「ヨコガマ (そう聞こえた。横浜のこと) やトキオ (東京) にも寄ったけど、やっぱりコーベが美しかったなあ。コーベは料理も美味しかったし、街を歩いた景色もステキだった。大切な思い出だ」
マリオは、ぼくらのテーブルの脇に立って、しばらく彼の物語の一部を話してくれた。彼は、思うところあってお金を貯めて大きな船で世界一周したあと、このシャープソーンへやってきて、この店でピアノ弾いたりしながら、材料を買い付けたり、メニューを考えたりするようになった。「冬は寒いけど、ここはほんとステキな場所だよ」
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よく見ると、このカフェは、地域のコミュニティのハブとして機能しているようで、いろんな集まりの情報が、壁に張り出されていたり、地域の人が出しているらしい冊子も置いてあった。壁には集まってる人たちのつくった絵などが、綺麗に飾ってある。大きくて、少し複雑な形をした木造部屋の一角が、ガラス扉でしきられていて、ミーティングや工作作業に使えるような大きな木造のテーブルが置いてあったりした。
別の日、アップルジュースを運んできた女性に何気なく話しかけたら、はにかみながらたどたどしい英語で、自分は南ドイツから来てまだ半年であり、フォレスト・ロウのそばにある小さな家を借りて住んでいるのであり、何かをしたくて自分の家を旅立ったのであり、まずは英語を身につけてこの地域でジョブを見つけたいのである、と話してくれた。
おそらく50歳前後のその女性は、最後に照れ笑いしながら「夢以外に何ももたない自分が、イングランドでジョブを見つけるのはきっと簡単じゃぁないだろうけど」と付け加えた。マリオのカフェは、こういった5年前のマリオと同じような心構えの人たちの、一時的な受け皿にもなっているようだった。
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シャープソーンは、本当にその辺にあるイングランド南部の小さな町。その小さな町にある小さなカフェでは、地元の農家の人たちだけじゃなく、生きることを求めて何かをしたいイタリアやドイツで育った人たちが、生きるために時間を過ごしているのだ。ぼくたちは、ますますこのマリオのカフェが大好きになった。そして、宿への帰り道、丸っこいチンクエチェントの窓から片手こぶし出して叫びたくなるくらい、嬉しくなった。
ぼくは、海外に行っても、隙があると、やはりカフェに行く。自分の町と同じように、珈琲のオリジナリティを探すためもあるし、それ以外の理由もある。