gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


カフカの風景1

今の中学や高校のルールはきっとちがうだろうし、当時も一部限定だったのではないかと思うのだけれど、ぼくの中学では喫茶店へ行くことが禁止されていた。

高校時代には、そんなルールがあったかどうか忘れてしまうくらいふつうに喫茶店を使うようになっていたけれど (授業をさぼった日によく行ったかな..)、少なくとも中学時代の前半は喫茶店へほとんど行ったことなかった。

森に囲まれた家で育ち、森に囲まれた中学へ通っていた田舎者のぼくにとって、喫茶店というのは、おそらくタバコの煙いっぱいの中で、苦虫つぶしたような顔して珈琲を飲んでいるおっさんの溜まり場、というイメージだった。しかもその珈琲には、砂糖も「クリープ」(ミルクじゃない) も入ってなくて、代わりにタバコの灰が入ったりしている。

(おっさんになった今は、そんなお店もきらいじゃなかったりするのが、またおもしろいところ)

そんなぼくが、海辺の街にある高校へ通ういとこのTくんから「きっちゃてん」に誘われたのは、たしか中学2年の終わりの春休み。

2こ年上のTくんは「まちがいなく口から先に生まれてきた子や」と、周囲の大人からよく断言されるくらいに口が達者で、いつもいつも、いつもいつも、冗談を言っていた。そういうたくましい明るさがぼくにはうらやましかったし、ビートルズやらツェッペリンやら、やや古めの音楽を教えてくれたのも彼だったので、何となくあこがれたりしていた。

さて、春休みにそのTくんちへ遊びに行って、F くんていう彼の友だち (いっしょにバンドやってたらしい) とも合流し、「ちょっと、きっちゃてん行こか」となったように覚えている。

オトナに見える2人のうしろについて、商店街の大きなとおりから2回まがった先の静かな広場に、そのお店があった。城下町なので、道のつくりが複雑で、細い路地の途中に不思議な広場のようなものがあったりした。

窓ガラスの大きな、でもやや古めのヨーロッパ的な木のドアを開けて入ると、そのドアのデザインに似合った、歩くと足音のする広い木製の床に、外の風景がよく見える出窓のある部屋。テーブルもがたがたしないし、タバコをすっている人がいない。

流れている音楽は、たぶんフランスの女性ボーカルがささやくように歌う曲。それがしっかり聞こえるくらいに部屋が静かだった。大人のふりをしていたTくんやFくんも、実はそんなに慣れてないみたいで、ちょっと緊張しているのが顔つきと肩の力の入り具合から分かる。

運ばれてきた手書きのかっこいいメニューを見ると、店の名前は「Kafka」。かろうじて「かふか」と読むことができ、何となく、ヨーロッパ人作家の名前であることは思い出した。でも、肝心のメニューに何を書いているかは皆目わからないから、口の達者ないとこのおすすめにしたがって、珈琲ゼリー (たしか、珈琲豆の種類が何種類かあった) を注文した。

注文という一大事業をクリアしてほっとしたら、まわりの風景も目に入ってきた。春休みのせいかTくんと同じ高校の人が4人、高校生らしくなく静かに打ち合わせしていた。バンド (T くんたちとは別のグループ) をやっている人たちで、つぎのライブの打ち合わせをしているらしい。

それ以外には、大学生らしいひとりが本を読んだり、年配の女性が珈琲飲みながら、窓の外をゆっくり見たりしている。

そして、運ばれてきた珈琲ゼリーが、びっくりするくらい美味しかった。甘くないし、ミルクが「クリープ」じゃないのに。苦いのだけれど、何と言えばいいのか、おいしい苦さ。そして、何よりも珈琲の香りがすばらしい。

「この味の珈琲ゼリーには、まず他ではありつけない」という口達者なTくんの言葉は、とても真実に近いように感じた。

静かな音楽の流れる時間を楽しんだり、これからの活動を友人とゆっくり話し合ったりする時間を演出した空間。そこで、珈琲の香りを味を楽しむ。

この素晴らしさを実感したのは、ぼくだけではなく、大人に見えたTくんたちも同じだったようだ。

このときからぼくは、こういった珈琲を楽しめる店を探すようになった。ぼく自身が、砂糖と「クリープ」を入れない珈琲の味が分かるようになるまでには、もう少し時間がかかるのだけれど。

この経験は、おそらく、カフェの基準とかそういうものじゃなく、時間の使い方についての、憧れにもにた風景を学んだ瞬間だと、ぼくは思っている。

(あのとき、珈琲ゼリーと一緒に出された小さなグラスボウルに入った透明の液体がシロップであることを知らず、したり顔した3人は、きどって右手の指先を洗ったのだが、それはここだけのナイショのお話し)

 

  1. この記事は、Tak.さんの記事「予定されていない羅針盤」がきっかけで、書きました。