gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


使い捨てじゃない

万年筆を使い始めて気づいたのは、使い捨てじゃないデザインが多いこと。使い捨てじゃない万年筆は、ていねいで繊細、そして丈夫につくられているし、壊れてもそこを修理したり、部品を交換できたりする。

たとえば今、いちばん使っている万年筆は Aurora のイプシロン。デザインの繊細さと大胆さがイタリアらしさ抜群と、ぼくは感じている。そして、そのペン先の滑らかさが、すばらしい。

このイプシロンは steel nib (鋼鉄のペン先?)。Gold nib (金を含む合金でできたペン先) をもつ万年筆を使ったことがないので自信ないけれど、「Steel nib は引っかかるから今ひとつ」と書いている人たちにも、試してもらいたいような滑らかさ。 もちろん、たとえば Aurora が同じ技術でつくった gold nib は、もっと滑らかかもしれないけれど。

万年筆と相性が悪いと言われるリーガルパッドに何ページか書きつづけても、ペン先に紙の繊維が引っかかって書きづらくなったりしない。

そしてインクの出方は、気にならない程度に控えめ。このバランスが絶妙と思うのは、ぼくだけだろうか。

このインク流量が気に入らない人もいるようだけれど、これまた Moleskine のような万年筆と相性の悪いノートが好きなぼくとしては、このおかげで裏写りも少なく、字が滲んだりする心配もしないで、中字の太さを楽しむことができる。

力をほとんどいれずにも書きつづけられるし、思いっきり強弱をつけながら書くと、字の色の濃淡を楽しむこともできる。この文字の強弱や濃淡は、ボールペンや製図用ペンでは楽しむことのできない万年筆ならではの醍醐味かなと、今のところ考えたりしている。

インクをためるコンバータをつけたときのがっしりした手応えや、ピストンの滑らかさも、安心感を与えてくれる。

さらに、キャップを本体につけたとき、セクション (本体の前半部分) やバレル (後半部分) にカチッととまる感触も硬すぎず、軟らかすぎず。しっかりとキャップが固定されていて、たとえばキャップをバレルにかぶせて (posting と言うそうです) 書いていても、キャップが外れたり、回ったりしない安心感がある。

でも、そのつくりのよさが故に、万年筆を野外で落としたり壊れたりすることを気にせずに、思いっきり書き飛ばすように使うことは、今のところできない。こういった場合には、やはり比較的安価な油性ボールペンが最適。しかも、複数の色が使える3色や4色ボールペンは、野外調査に必須と言っていいと思う。

「あ、閃いた」っていうようなアイディアを、電車の中や駅でさっと書きつける (英語で言うと jot down) 場合にも、今のところ万年筆はボールペンにかなわない。ジーンズのポケットに、安心して放り込んでおけるからだ。

この2つが、ぼくが長いあいだ、万年筆を使わないできた理由だと思う。 嫌ってきたと言っていいかもしれない。これができないなら、ペンじゃないって感じで。

つまり、ペンは使い捨てのように気楽に携帯できるものが良くて、数千円以上するような高価なペンは必要ない、と考えていた。使い捨ての文化に何となく違和感を感じながら、ペンについては、 たぶん仕方ないとあきらめ気味に使い捨てデザインを応援してきたわけだ。

今、イプシロンは、たとえばカフェの大きなテーブルの前に座ってゆっくり文章を練るとき、朝一番のフリーライティングや、お世話になった知人に手紙を書いたりするときにぴったりかな、と感じている。

あと、英文をタイプするのが好きなのだけれど、手書きも好きなので、アメリカの友人にメールを書くときには、イプシロンでリーガルパッドなどに下書きしてから、それをタイプして email で送ったりしている。

Bullet Journal 的に Moleskine につけているログも、もちろん、この万年筆で書いている。

この使い捨てじゃない、という万年筆の特徴は、文章を書くプロセスやできあがる文章にも影響すると感じている。ただし、それがどんな影響で、なぜそんなことが起こるのかは、まだ観察中。

でも、もしあなたが文章を書くのが好きで、ぼくのような理由だけで万年筆を敬遠しているのなら、使い捨てじゃない用途でデザインされた万年筆を買っても、たぶん損はしないかなと、今は考えている。