on outline processing, writing, and human activities for nature
自分にとって難しい文章を読むとき、ぼくは、どんなに分かってなくてもいいから、とにかく最後まで読むことを三回繰り返すことにしている。
そして、それだけの時間と手間ひまをかけなければいけないと自覚する。あるいは、そう開きなおる。それから、テキトーでいいので、その難しい文章を読むためのスケジュールを意識する。
たとえば、その文章を一週間で理解したい (それ以上は時間をかけたくないなぁ) と考えているなら、一回読みとおすのにかける時間はだいたい二日。
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あたりまえだけど、第一の関門は、最初にひととおり読み終えるまでの作業。
たとえば全体の一割ほど読み進んだけど、ほぼ何も分からないとき。自分の理解力をののしりたくなるし、がっかりする。読むのを止めたくなるかも知れない。
別のやさしそうな文章を読めばきっと楽しいし、自分のためになるよーって声も聞こえたりする。
でもえらそうに言うと、それが人間ってもんだ。だからそんな気持ちや声は、とりあえず放っておこう。とにかく最後まで読もうと決めた、30分前の自分を大事にしよう。
そして、文章のアウトラインを理解することだけは、あきらめないでおこう。アウトラインを理解するということは、この場合、その文章をつくる部品の数とそれぞれの部品の役割を予想すること。分からないだらけでも、やってみよう。
最初からアウトラインをはっきり決めないのも大切。つまり、たとえばアウトライナーに、アウトラインの案を書き出したりしない。頭の中でぼんやりつくる程度にする。
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その代わり、アウトライナーには知らない言葉や気になるセンテンスを書き出していく。気になるセンテンスとは、おもしろいと感じたものや疑問に思ったもの、何じゃこりゃとびっくりしたのもいい。
完璧なリストはつくらない。いきあたりばったり、適当にリストアップするくらいがいい。その言葉について最低限のことを調べながら読み進む。
自分が読み終わるのに必要と思う時間を意識しながら、調べる時間を割りふることも大切。もちろん、だいたいでいい。
たとえば、二日間でひととおり読み終わりたくて、読むのにとった時間が合わせて5時間なのに、ひとつの言葉を一時間も調べたりしたら、自分で自分のハカアナをかっこよく掘ってることになる。
とにかく、分からない言葉や気になったセンテンスのテキトーなリストをつくることで、自分の理解が全然進んでいないことの気持ちがまぎれるし、実際、少し理解が進むこともある。それで充分。
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ひととおり読み終わったら、少し時間をとって、アウトラインの案を頭の中に描いてみる。
この文章が伝えたいメッセージを、一言にすると何なのか。全体がいくつの部品に分かれていて、それぞれがどんな役割を担っているのかを整理してみる。分からない言葉や気になるセンテンスのテキトーリストを何となく眺めながらでもいいし、そんなの見なくてもいい。
一度読み終わったあとでも、アウトラインはぼんやりと考えるだけ。分からない段階で無理やりアウトラインをつくることもできるし、それが理解の助けにもなるけど、時間のかかることが多いからだ。
それから、とにかく文章を読みとおした自分を褒めてあげる。
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そして、二回目を読み始める。これまたあたりまえだけど、一回目より早く読める。
知らない言葉が減ってるし、気なるセンテンスに心を囚われる場面も少なくなる。何より、今自分が読んでいる部分の位置が見える気分を味わえるときも増える。
一回目より「おぉ、そうだったのか」の回数も多くなる。この一回目と二回目の差分を楽しむことが大事。いくら小さな差分でも、文章のメッセージに近づくことができたのだから。
前回分からなくて苦労した文章が、実は著者や編集者のまちがいと気づくときもある。単なる書きまちがいのこともあるし、もっと大きな論理的な誤りの場合もある。でも、だからといって著者や編集者に腹をたてる必要はない。
どんなに努力しても、まちがいは起こるものだし、それが文章を書くってことなのだ (だからこそ、みんなあんなに苦労して書き、勇気を出して出版するのだ)。
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勘ちがいに気づくことがたくさんあって、またもや自分の理解力のなさを嘆きたくなるかもしれない。
これが第二の関門。
でも、やっぱりえらそうに言うと、それが人間ってもんだ。だから、そんな気持ちのことは、とりあえず放っておこう。そして、少し時間をかけて言葉の背景になる文章を探してみよう。
知らなかった言葉を提案した人が書いた別の文章に目をとおしたり、知らなかった言葉をめぐる議論を読む時間をとるのもいい。一回目よりも早く読み進んでできた余裕を、そういう作業にまわすのは、ほんとうに楽しい。
そして二回目を読み終えたら、アウトラインの案を組み立て直してみる。このとき、7割か8割くらい分かったという手応えがあれば、その案をたとえばアウトライナーに書き出してみる。注意点は、できるだけ短い文章にすること。でも主語と動詞のある、完全な文章にすること。
もし9割分かったという手応えがあれば、アウトラインを書き出したりせず、いきなり、その文章のメッセージをひとつかふたつのセンテンスにまとめるだけにする。できるだけ、自分の言葉に翻訳するよう意識しながら。9割くらい理解できたと感じるときは、その文章のアウトラインが、頭の中にできあがっていることが多い。
そして三回目は読まずに、新しい別の文章を読み始めよう。あるいは、その文章をもとにしたプロジェクトを始めたり、新しい文章を書いたりするのもいい。
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まだまだ分かってないなってときは、三回目を読み始める。
二回目より、さらにすらすら読める自分を楽しみながら、二回目の勘ちがいを探し、しめしめと思いながら読み進めればいい。
このとき、四回目を読む必要があるかどうかも気をつけておく。たとえば、三回目でも新しく分かることが多い場合は、まだ自分の理解が、著者のメッセージに届いていない可能性が高い。
逆に、その文章だけを繰り返し読んでも半分も理解できないと感じることもある。三回目にそう思うときは、思い切ってその文章を読むのを止め、たとえば、その背景になる別の文章をゆっくり読み始めたりする。
元の文章を読んだ経験があるから、背景になる文章を読むのは比較的楽しいことが多い。そう言うことだったのかと気づいたりしたら、こちらのもの。すらすら読める場合もある。背景になる文章をゆっくり読んでから元の文章へ戻ると、分かったと思う場面も増えるときもある。
そして、三回目を読み終え、7割か8割分かったと思ったらもう一度アウトラインを書き出し、9割理解できた感じたらその内容を、短くて完全なセンテンスにまとめる。
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三回か四回読んでも、あまり分かった気になれない場合もある。そんなときも、とにかくアウトラインを書き出し、分かったと思うことをセンテンスにまとめておく。
一週間か一か月後、あるいは一年後にそのアウトラインや要約センテンスを見直したとき、その文章を読むのに費やした一週間が無駄ではなかったことに気づくことが多い。
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大切なのは、繰り返し読み、その理解の差分を楽しむこと。そうやって読んでおくと、自分の中のどこかでその経験が育ち、将来もう一度その文章を読んだとき、理解に役立つことが多いこと。
そして、もうひとつ。このやり方は、自分にとって難しい文章を書く作業にも応用できる。
文章を読むことと書くことは、実のところ似たものどうしではないかというのが、ぼくの考え。