on outline processing, writing, and human activities for nature
国外へ出かけたとき、人と人のあいさつを眺めるのが、楽しみのひとつ。あいさつには、その地域の文化というか、人が人とつきあっていく技術が、うまく要約されている気がする。
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スペインの人たちの明るい「Hola ! オラ!」も大好きなのだけれど、もっと好きなのは、やはりモンゴルのあいさつ。カタカナだと「サンバィヌゥー」と書けばいいだろうか。そして、その前に「ノゥー」のような「ヌゥー」のような音でゆっくりと調子をとる時間が入る。モンゴル語はあまり分からないので勘違いしているかも知れないけど、モンゴルのあいさつは、このあたまの「ヌゥー」の使い方が鍵かなと思っている。
日本語でいうと「や、こんちは」というペースで、あいさつするときは「ヌ、サンバイヌゥー」となる。ウランバトールのような都市では、最初のヌは、ほとんど聞こえないくらい。
でもこれが草原の中だったりすると、はるか遠くから近づいてくるのが見えるので、日本人的にはかなり距離を置いた段階から「ヌゥーーヌゥーー」と、低くゆっくりとした声であいさつが始まる。おそらく100メートル以上離れたところから、たがいに少し微笑みながら、「ヌゥー」が始まる。これが、とてもいい。
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たとえば、モンゴル東北部にある、オノンと呼ばれる川の流域にある放牧地で見かけた風景。ゲルではない小さな集落があり、人のくらす小さな建物と広い放牧地の境に、申し訳程度のようにつくられた木の柵にツヴェンが寄りかかっている。
ツヴェンは、ウランバトールにある研究機関で働く鳥の研究者で、この地域で生まれ育った。そのツヴェンを見つけてか偶然か、放牧地でなにやら仕事を終えた年配の男性が、大きな鋤を左手にゆっくりやってくる。あとで訊いたら、彼は、たくさんいるツヴェンの叔父さんのひとり。
ぼくは、ツヴェンのよりかかる柵沿いに少し離れた場所で、モンゴルの人たちがくらす家と草原をスケッチしていた。ぼくが叔父さんに気づいたとき、ツヴェンとの距離はたぶん500メートルかもっと離れていたかもしれない。ツヴェンはすでににこにこしながら、叔父さんの方を眺めている。
遠くからアネハヅルの声が響いてくる。
叔父さんは歩調を早めることなく、ツヴェンも柵を越えて叔父さんの方へ歩み寄るわけでもなく、おたがいに微笑んでいるだけ。そして、2人の距離が100メートルくらいに縮まったあたりで、ツヴェンが「ヌゥーヌゥーヌゥ」と言い始める。叔父さんもおそらく、そう口に出している。
叔父さんの足元からヒバリが3羽、静かに飛び立つ。
そして、2人の距離が5メートルくらいになったところで、すでに申し合わせがあったかのようにまず、ツヴェンがヌゥーの声をいったん切り、「サンバイヌゥ」と先に声をかけ、一息おいて叔父さんが左手にもった鍬を杖のように地面につきさしながら、「サンバイヌゥー」と立ちどまる。
たがいのサンバイヌゥが終わると、これまた申し合わせがあったかのように叔父さんが語り始め、ツヴェンは笑いながら相槌をうち、会話が始まる。
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大切な点は、100メートルほど離れたところから、「やぁ、また会えましたね」とたがいの顔をみながら、相手にフォーカスしていること。その遠い距離から、相手に聞こえるかどうかは別として静かに「ヌゥーヌゥーヌゥ」と、相手に声をかけ始めていること。
初めてこの光景を初めてみたとき、すごく長い時間をかけているように感じたけれど、その時間を計算してみると、実はせいぜい30秒か1分くらい。
にも関わらず長く感じたのは、日本人のぼくにとって、あいさつにかける時間がそれよりもずっと少ない、たぶん数秒くらいで終わるものと思い込んでいたからだと思う。
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この風景を見て、ぼくは自分のあいさつに、このモンゴルのやり方をこっそり入れてみることにした。
たとえば職場のキャンパスで友人や知人をみつけたら、100メートルくらいの距離からゆっくりと心の中でたとえば「ヌゥーヌゥーヌゥ」とあいさつを始める (たぶん「やあやあ」といった日本語でもいい)。何を話そうかと考えたりせず、ただ、心の中で声をかける。
そうすると、30秒か1分、何も考えずに出会った人たちにフォーカスできる。そして、たぶんそれが理由で、そのあとのよもやま話しが少しだけ楽しくなる。
せっかちなあいさつしかしてこなかったぼく限定かもしれないけど、効果は今も大きい。
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心の中のあいさつを、ほんの30秒か1分だけ早く始める。モンゴルの人たちに倣って身につけたこの小さな生活の技、よろしければ、お試しあれ。