gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


道草 2

ぼくにとって道草をするとは、たとえば、田んぼの脇を流れる小さな川にくらす生きものを、眺めつづけることだった。

さかさまになって水草につかまるタイコウチ。流れる水にひっぱられるように揺れる水草といっしょに揺れるタイコウチ。

タイコウチに気づかず、そこへ近づく一匹のメダカ。揺れていたタイコウチは、ある瞬間に揺れるのをやめ、カマのように尖った前脚をまっすぐのばし、メダカの体を挟む。

逃げようとするメダカの振動。タイコウチの体がわずかに、そして小刻みに揺れ、その動きは水草にも伝わる。

水は高いところから低いところへと動こうとする。その水の動こうとする力は、水草をつかまえてはもどし、つかまえてはもどす。水草には根がある。小さな川底の土は水草の音をつかんで離さない。

土の力と水の力のあいだで、たゆたう水草。

水の力は、タイコウチもつかまえようとする。タイコウチには脚がある。脚につかまれた水草は、タイコウチを水の力から連れもどす。水草をとおして伝わる土の力と、低いところを目指す水の力とのあいだでたゆたうタイコウチ。

力強いメダカは土の力など関係なく、そして水の力など関係なく、上流へも下流へも、自由に泳ぐ。

しかし、タイコウチの前脚の力にはかなわず、タイコウチに捕まる時がある。その瞬間、メダカの力強さは、タイコウチと水草をとおして、小さな川の底にある土にまで伝わる。

メダカの力強さとタイコウチの前脚を進化させた長い長い時間が、低いところへ動こうとする水や、そこに留まろうとする土に宿った普遍の力と出会う瞬間。

そんなエラそうなことを言葉にできるはずもない小学生のぼくは、だけどドキドキしながら、こりゃやっぱりすごいことだと、待ちくたびれた友だちのKくんや、カキの剪定に忙しい母に話しては、笑われたりしていた。