gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


英語を万年筆で集める

用意するものは、ペンとノートに、スマートフォン。

ペンは、力を入れず書きたい線を思いどおりに引ける、形も重さもそのバランスもいいなぁと感じるものがベスト。だからぼくは、万年筆を使う。

ノートは、何でも集めて書いている一冊のノート。ぼくの場合は、こういうことやって行きたいなぁとずっと考えつづけてることも、ふと思いついた研究の閃きも、お気に入り万年筆のスケッチも、とにかく全部集めてかいているノート。

スマートフォンは、英語圏で生活する人たちの作品を、読んだり観たりするために使う。だから PC やタブレットもオーケー。英語圏で生活する人たちとは、英語で考えたり会話したりすることが人生の大半を占めている人たちのこと。

隙間時間でいいから、とにかく英語を楽しむ時間をとる。

それは、目の前にある作品を形づくる英語そのものを楽しむ時間。作品の内容を理解したり楽しんだりすることは、その次においておく。

たとえば、好きな作家やブロガーの文章を読む。あるいは、以前から目をつけていた映画やドラマ、動画ブログを観る。そして、気になるセンテンスがあったら、そこで読んだり観たりするのを中断する。

気になるセンテンスとは、出会ったことのない新しい言葉が中心だったり、知っている言葉ばかりなのに、そのメッセージがよくわからなかったりするようなセンテンス。

まずそのセンテンスを、頭の中で繰り返し読み上げる。声を出していい場所なら、本当の声にして読み上げる。動画の場合は、できるだけ聞こえたままの音で話してみる。よく聞き取れなかった部分も気にせず、その通りの音にしてみる。

次に、初めて出会った単語や何度出会っても頭に入らない単語を辞書で調べる。最初に英英辞典を一回読み、理解できなければ英和も調べてもいいことにする。

分からなかった言葉の意味をイメージできるようになったら、センテンス全体の意味をイメージしてみる。そして、クリアなイメージができてもできなくても、空でそのセンテンスを (頭の中で) 話してみる。うまくできないときは、元のセンテンスを見直して、もう一度。

3回くらい空で繰り返せるようになったら、まず深呼吸。そしてノートを開いてペンのキャップを外し、そのセンテンスを文字にする。スペリングや、文字の形にも気を配りながら。

たとえば、こんな感じ。

少し解説すると、この文章は Netflix がつくった『Godless』(神のいない土地?) というドラマに出てくる台詞。時代はたぶん1800年代後半。第3話最初のあたりで、立派な口髭をたくわえた保安官が、腹にイチモツありそうな鉱山開発会社社長に向かって話す言葉。保安官の名前はジョン・クック。

二番目のセンテンスに出てくる La Belle は、このドラマの舞台になるアメリカ南部、ニューメキシコ州にあるたぶん架空の町1。数年前の鉱山事故で男性のほとんどが亡くなり、残された女性たちがたくましく町を切り盛りしている場所。

ジョン・クックは、その La Belle に忍び寄るある危険を心配し、この腹にイチモツ社長に止むを得ず、町の警護を拡充できないか相談するシーン。私は、あなた自身を決して尊敬していない。でも今は、あなたのお金と力を尊敬して頼んでいるんだという毅然とした気持ちを、紳士的かつ粗野に表明するシーン。

一番目のセンテンスにある「give a hoot in hell」が、ぼくにとって新しい言い方。警告するという意味かなと想像している。二番目の「down」の使い方も新鮮。ジョン・クックは、こういう形で down を使うことが多い。

この保安官以外に、軍隊経験がありそうでいわゆる上流じゃないけれど、それなりの教育を受けたらしいおっさんたちも、同じように down を使うシーンがある。

1800年代が舞台の英語だから、普段そのまま使うと違和感たっぷりな英語になる可能性が高いことにも、ご注意を。

センテンスを書き終わったら、文字を見ながら (頭の中で) 声にしてみる。

それでおしまい。

隙間時間だから、中断しながらの作業になるけど、それはそれで気にしない。よく分からないままの言葉や言い方を、あとでゆっくり調べ直すのも楽しいし、無理にやらなくてもいい。自分の生活に大事な英語は放っておいても何度も出会うから、自然に自分のものになることが多い。

ノートを眺め直して、なぜあの単語じゃなくてこの単語を使うのか、あるいは、どの部分が省略されていてなぜここが残ったんだろうと考えるのも、結構楽しい。

そういうことを何年かつづけていると、英語という言葉がもつ、文化とその時間みたいなものを実感する瞬間がある。

たとえば目の前にいる彼は、ニューヨークで生まれ育ちニューヨークの大学院に通っているニイさんで、スペイン系のファミリーネームをもっている。日本のアニメとクモの進化について語り始めると止まらない彼が今この言葉を使うのは、偶然も半分あるけど、あの地域で使われていた言葉が生きているからなのかなと、ふと思うときがある。

ぼくはこういう瞬間、あぁ言葉っていいもんだなと思ったりする。

 

  1. ニューメキシコ州の La Belle という町が実在したという記事を見つけました。ただし、鉱山事故で男性のほとんどが亡くなったのは、少し離れた別の町だとか。