gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


鋸の使命

道具をめぐる余談です。

雪がちらほらという2月の平日、午前中に休暇をとり、かつてレンジャーをやっていた保護区の森で、木を伐り倒すボランティア作業をしました。久しぶりの伐採で少し緊張し (けっこう危険)、しかもややきつい労働なので、脳ミソの洗濯をした気がしました。

作業メンバーは7人。1−2人で1本ずつ切り倒すことが暗黙のうちに決まり、ぼくはかっこつけて、太くて斜面もきつい場所に生えた木を選んでしまい、鋸を使い始めて2分で後悔しました。やや離れた場所をみると、ぼくと似たような表情した人がいて思わず笑ってしまいました。

それでも最初の10分くらいは、勢いで鋸を引きつづけることはできました。正確には押したり引いたりを、あまり考えずに力づくでやりました。最初に倒したい方向の幹を水平のくさび形に切り取ってしまうと、あとが楽なのですが、久しぶりのこともあってこれがうまくいきません。鋸を入れた2つの角度がうまく合わないからです。

鋸が切り進むラインは、一度決まってくると修正したくても、なかなか修正できません。思っている方向と逆へ曲がっていく気さえします。そうするうちに、腕と手の筋肉が悲鳴をあげはじめます。そして、鋸を入れている側に木の重さがかかるようになり、鋸がさらに重くなります。

そうなってくると、まず道具に文句をつけたくなりました。こんな、薄くてすぐたわむ鋸だからうまくいかないんだとか、ぼくは鋸よりも斧が得意なんだとか、頭の中でいろいろケチを入れる文句が浮かびます。

この段階で (ちょっと早過ぎて申し訳ないなと思いながら..)、作業をとめてひと休みします。鋸をみぞれ混じりの雪に濡れない場所に置き、比較的平らな場所へ行って深呼吸。それだけで大いに元気がでます。そして、ちょっとだけ改善策なんかを考えて作業再開。木の重さがかかっていない、切り倒す方向とは逆から鋸を入れることにしました。

作業に少し慣れきたからでしょうか、今度は順調に鋸が進みました。でもやはり5分くらい経つと、腕やさっきまでは大丈夫だった腰の筋肉が文句を言い始めます。斜面が急なので、無理な姿勢で作業しているせいもあるだろうと足場を変えたりしたのですが、そばにある他の木が大変うまく邪魔をしてくれて、楽な姿勢になれません。

そしてまたもや、頭の中では道具に文句を言い始めます。なんで日本の鋸は押すときに切れないんだ、押すときに切れる方がきっと合理的にちがいない (隣の芝生は青い)、よしぼくは断然押すときに切れる鋸をつくった文化を応援したい、なんて今更言っても仕方ない文句やタイソウな日本文化批判まで頭にうかびました (笑っちゃいますよね)。

そこで、もう一度ひと休み。そのときやっと、そうか鋸は引くときだけ力をこめるようにしようと、昔おぼえた技も思い出し、一気に楽になりました。相変わらず倒す側のくさび形は切り取れないのであきらめ、幹にロープをかけて倒したい側にのばし、まわりを見わたして、口だけが作業をしてるように見えた人 (ごめんなさい) にお願いし、そのロープを離れた場所からひっぱってもらうことにしました。ぼくは、その逆から切ることにしました。

その辺りから、無駄な考えが頭の中から消え、シンプルに体が動くようになりました。この伐採にかかった時間は30分弱だったでしょうか。そのあと、倒した木の処理もまたひと仕事なのですが、道具に文句を言うことなく作業できました。

木を伐り倒すというのが、一大プロジェクトのような、そして人生の縮図のような気がして、道具は人からいわれのない文句までも引き受けてくれていることに気づき、ああおもしろかったという、お話しでした。

(めでたし、めでたし)