on outline processing, writing, and human activities for nature
プロローグ
オガノさんとの待ち合わせ時刻は午後2時半で、場所は三浦半島のハヤタ町にあるポートランド・コーヒー。
「役場の人がカフェで打合せするなんて、めずらしい」って電話で話したら、最近はよくあることなんだと、オガノさんはいつものようにゆっくり話してくれた。
タイチ・オガノさんに会ったら、きっと、君もすぐに彼を気に入るはず。オガノさんは、立ってる姿がとにかくかっこいいんだ。町役場でも、少し笑うかのように少し空を見上げるかのように、どっしりと立ってる彼を見かける。ほら、役所の人って親切だしデキる人が多いんだけど、いつも机に向かって PC のキーボード叩いてるか、あのせまいオフィスにうまく並べたテーブルで、プリントアウトした書類見ながら、しゃっちょこばって打合わせしてるってイメージだった。
オガノさんはちがう。きっと彼の仕事は、机から離れた広い場所でまっすぐ立って、にんまりすることじゃないかとぼくは予想している。つまりオガノさんは、書類をつくったりメールを書いたりする作業を最短で終わらせ、あとは自分の頭で考えてるってわけだ。彼の影響だと思うけど、オガノさんと同じ部署の人たちも、ちょっと役人らしくない感じがする。
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モトマチというバス停で降りると、潮の香りに混ざってクロマツの松脂みたいなにおいがした。この香りを嗅ぐといつも、ぼくは、ああ三浦の海岸にきたんだと、しみじみ思う。ここからバスと電車で30分のぼくのうちも、海のそばと言えばそばなんだけど、松脂のにおいがこんなにはしないんだ。
やっぱり夏のハヤタ町はにぎやかで、車が2台すれちがうのもやっとの道に、浜辺へ向かう人たちが歩道からあふれながら歩いていた。海がすぐそこだから、はりきりまくった子どもたちの笑い声があちこちから聞こえてくる。そして、それに負けないくらいのボリュームで、ミンミンゼミの声が響いている。
「ミンミンゼミがこんなに多いの、神奈川だけなんだって」ぼくと同じ NPO で働いてるハナちゃんから、おととい聞いた話しを思いだす。たしかにそうだ。でもなぜこの辺だけなんだろうって考えながら、腕時計のガラスを左手の人指し指でさわると2時22分。ぼくは右利きだけど、腕時計を右手につける。理由は、野外調査のとき時刻を見ながらノートをとるのに都合がいいからってことにしてあるけど、ほんとの理由は別にある。
バス停からポートランド・コーヒーまで、ゆっくり歩いて2分かかったかな。入り口のドアが開いて、冷房の涼しい空気をあびながら奥をみると、オガノさんが窓際、いや、大きなガラスでできた壁近くのテーブルで手をあげた。これは予想どおり。オガノさんは、相手をまたせることがめったにないらしい。それが噂になるってだけでもスゴイよね。
目であいさつを交わしたあと、ぼくはそのままカウンターへ。注文は、エスプレッソのソロに決まっていた。「夏にエスプレッソは、めずらしいですね」とたまに言われる。そう、ぼくは夏でも冬でもエスプレッソ珈琲。冷たい水はつけなくていいよ。
順番がきてカウンターでお金を払っているうちに、注文したエスプレッソも出てくる。以前は「あの赤いランプ下のカウンターでおまちください」なんて言われたよなと思いながら、デミタスカップもって、オガノさんのテーブルへ向かう。
「きのう裏山で、ツクツクホウシが鳴きましたよ。この夏初めて。去年より2日早い」生きものの話しから入るなんてオガノさん、ガラにもなく相手に話題合わせてるのかなと思いながら、デミタスカップをテーブルに置いた。イングリッシュ・オールド・ホワイト色した六角形のテーブルが、コトリと柔らかな音をたてる。2年くらい前から見かけるようになったかな、この柔らかい表面のテーブルは、ぼくのお気に入りのひとつ。
握手もそこそこに椅子にすわり、冷めないうちにとエスプレッソを飲みほす。オガノさんの肩越しにガラス壁の向こうを見ると、三叉路にある信号のひとつがちょうどグリーンにかわり、スカイブルーの神奈中バスが角向こうからこちらに顔をだした。行き先は「海岸回り」。ぼくが乗ってきたバスの次の便がもう来たんだ。夏のハヤタ町は、とにかく便利でにぎやかってことだ。
「暑さも山を越えましたね。夜になると、コオロギやキリギリスの仲間も鳴き始めた。あれはエンマコオロギかな、あの声を聞くと寂しいような、でも元気づけられるような不思議な気持ちになる」店の前を通り過ぎるバスを見ながら、オガノさんはゆっくり独り言のように話し、珈琲をひとくち。座ってるときの姿勢もいい人だ。
ガラス越しに見える路肩には、狭いんだけど店の空間があって、丸テーブルが2つ置いてある。そこには、サングラスに水着姿のヨーロッパ系のおじさんが2人、すぐそばを走り過ぎるバスなど気にもとめない感じで、両手を広げたり首振ったりしながら熱心に話している。ぼくの見立てでは、南イタリアから来たおっさん2人組。子どもの世話を奥さんたちに任せ、2人して浜辺からこっそり逃げ出してきた、怠け者おっさんたち。
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「さて」遅すぎずせっかちでもなく、心地よいタイミングで、オガノさんは要件に入る。「このあいだ説明したイベントの話しです。来年の夏、フタゴヤマ自然公園に M を呼ぶイベント」M は有名なミュージシャンの名前。日本のテレビをほとんど見ないぼくでも、普通に名前をしっているくらい有名な女性。でもオガノさんは、カタカナでつくったミュージシャンの名前に「さん」をつけない。
「あなたたち『考える木』が、そのイベントに反対していると聞きました。まちがいないですね」考える木は、ぼくが立ち上げた小さな NPO の名前。ぼくがうなづくのをたしかめてから、オガノさんはちょっと身を乗り出して「考える木の意見を、ハヤタ町の『コーホー』に連載してほしい。3回でどうでしょう」
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ふつうにビジネスマンしながら、ふつうに電車通勤していると、市や町の広報なんて、まず目にしなかった。でも、役場や公民館へいくと、必ずそれが置いてある。そういった場所で配っているだけなのにそれなりの読者がいて、広報を通して呼びかけたイベントには、定員の何倍もの人たちが申し込んでくる。つまり、熱心な読者がいる。発行も年4回くらいで、20ページ足らずの薄い無料の冊子。読まれていないようで読まれている、予想以上のインパクトをもった無料冊子。広報というのは、そういうイメージだった。
ところが、最近の『コーホー』はちょっとちがう。電子書籍って呼ばれてたものが、いちばん近いかな。文字と写真なんかが中心だけど、紙の読みもの雑誌が少しダイナミックになった感じで、隔月か毎月発行。もっと頻繁に出る場合もあるらしい。印刷や紙の予算がかからないからね。掲載記事への意見や質問もすぐ書き込みできるし、一週間以内でその答えも掲載されることが多い。あと、みんなが「ここ賛成」って感じで気に入った記事やセンテンスをかんたんに共有できる。イベント情報なんかは、ほぼリアルタイムで更新される。
こんなこと、ホームページで何十年も前からできたことだけど、コーホーでは eBook リーダーみたいな小さくて軽い、値段の安い端末をすべてのうちにひとつずつ配ったところがミソ。あともうひとつ、記事の中身に力を入れている点も大きなちがいかな。エッセイのような長めの文章が多いので、短い告知ニュース中心だった市のホームページにはなかったような、雑誌のような雰囲気なんだ。
それを最初にやったのがハヤタ町だった。希望すれば500円でもうひとつ端末を追加できる。コンピュータがちょっと苦手っていう年配の人たちや、自分の端末をもっていない小学生でも、読んだり書いたり、持ち歩いたりできるのが大事なところ。60歳以上と10代以下の人が多いという、不思議な年齢構成の町にはぴったりのサービスだった。それに、スマートフォンのように通信料を別に支払う必要もない。町の情報を読んだり、問い合わせたりしたいと思ったら、そのサッシ (みんな普通に、この端末をそう呼ぶようになった) のボタンを押せばいい。
もちろん、ほかの端末でもだいたい同じように読んだり書いたりできる。サッシ以外の端末を使っている人も含めコーホーを読んだり書いたりして使っているのは、ハヤタ町でも3割くらいって聞いた。少ないようだけど、以前の紙の広報よりは、ずっと高い割合になったそうだ。それに、たぶんあとで話すと思うけど、このコーホーが町の仕組みにちょっとした変化を起こした。
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そんなコーホーに、自分たちの意見を連載できるのは、小さな NPO スタッフとしては嬉しい話しだった。考える木がどんなことをやっているか宣伝になるし、何よりもあの M のイベントがかかえる問題に気づいてもらうチャンスが増える。考える木の活動は、これまでヨコハマが中心だったから、となり町のハヤタの人たちにぼくたちの活動を知ってもらうだけでも、プラスになる。
気を落ち着けようと、小さく深呼吸してから、椅子の後ろにかけてあったザックに手を入れ、モールスキンのノートをとりだす。そして、新しい真っ白なページを開き、まずは日づけを書く。
「Aug 14, 2036」
2036年。トーキョーオリンピックの大騒ぎから15年以上たったなんて、早いもんだ。
そうそう、自己紹介もしなくちゃね。ぼくは、クレッグ・B・フラナガン。アメリカ東海岸から日本にきて22年になる、立派なおっさんだ。
(つづく。この作品はフィクションです)