gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


時間からのプレゼント

まずは、この記事をゆっくり味わってほしい。

 「間違いなく行きつけになる予定だった店

ちょっとうれしいような、寂しいような。時間の流れは、古き良きものを容赦なくぼくたちから奪い去る。

ちょうどこれを読んだころ、ぼくは、花巻にあるケーキ屋のことを書いていた。

田んぼと雑木林のモザイクが広がる、花巻の丘の上に一軒のケーキ屋がある。ぼくがサシバとノスリというタカの仲間を調べている、フィールドのど真ん中。

近くに駅があると言えばある。歩いて30分くらいのところに、思わず写真を撮りたくなるような小さな無人駅。2両編成のディーゼルカーが1−2時間に1本走っている。

駅前は、このあたりにしては建物がまとまっていて、古いつくりのうちが一軒と新興住宅地らしい新しいつくりのうちがたぶん10戸足らずある。

そう、10戸足らずのうちから歩いて30分。だから、ほぼまちがいなく、このケーキ屋は都会的な感覚で言うと「不便なところ」にある。

ケーキ屋だって分かったあとも、ま、たぶん行かないかなと思っていた。甘いものは好きなんだけど、鎌倉や葉山にある、フランス語でパテシエなんてかいてあるお店にはあまり入ったことがない。

でも何度も前を通るうちに、珈琲が飲める誘惑にまけてしまい、調査がひと段落した午後遅くだったろうか、そこに入ってしまってからはすっかり行きつけになってしまった。

天気の悪い日にのんびりデータ入力したり、論文の原稿を書いたり。調査がひと段落したときの小さなお祝いや、調査がうまくいかずに壁にぶつかったときに深呼吸する場所として、使ったり。

ケーキの種類は15種類くらいで (多い方なのか、少ない方なのかは分からない)、珈琲の味はまあまあ。去年から1年で、新しいケーキが2種類加わった。

今までに食べたのは4種類か5種類で (気分でえらんじゃうので覚えてない) 、今のところ外れがない。ほんとおいしい。おっさんのぼくが、思わず2個食べてしまうほどに。

店が満員というのを、見たことはない。だいたいいつも、2-3人がケーキやクッキーを買いに来たりお茶の時間を楽しんでいたり。地元の人がほとんどで、常連も多いようす。

働いている人は、たぶん3人か4人。奥の厨房にケーキやクッキーを焼いている人がひとりか2人と、カウンターでお客さんの相手や、クッキーのパッキングをやっている人が2人。すごくフレンドリーな訳じゃなくて、注文を受けた時以外に、何か話したりしない。

美味しいケーキを食べながら、なぜこの場所にこのお店ができたのだろうと、考えることがある。

もしあなたが、たとえばケーキをつくる技をニューヨークで学び、あんなケーキやこんなケーキを長くつくりつづけたいと思ったとする。そして「大きく儲ける必要はない。自分のつくるケーキの味をよく知っていて、日常の中で楽しみにやってくる人がほとんど、という店をベースにケーキをつくりたい」と作戦を立てたとする。

さて、そんなあなたにとって、大都市と地方の「不便なところ」のどちらが、美味しいケーキづくり活動をつづける場に向いているのだろう。

たくさんの人が通り過ぎていく大都市 (= 無数にほか選択肢がある) よりも、「不便なところ」(= 選択肢が限られているから店を大事にする) の方が、成功する可能性が高いかも知れない、というのがぼくの勝手な仮説。

でも、このインチキ・セオリーが成り立つためには、有名になるとか大儲けするとかよりも「マジで美味しいケーキをつくりたいんスよ」って人がいることと、「時間が空いたときにあのケーキが食べられるって、ちょっといいよね」っていう文化が育っていることが必要。

そして、今のこの国には (まぁ、いろいろあるかも知れないけど)、この条件に合った「不便なところ」が増えているんじゃないかなというのが、インチキ・セオリー第2弾。

時間のクソヤローは、古き良きものをぼくたちから奪い去る。でもその傍らで、古き良き日本になかったこんなお店を、こっそりプレゼントしてくれた可能性もあるかも、というお話し。