gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


始めている仕事で自由になる

始めている仕事で根を生やす」でぼくは、行動の選択肢が (たとえば2つ)「ある」と書いた。

でも少し見方を変えると、まだ選択肢を選んでいない今のあなたにとって、選択肢は (ひとつも)「ない」とも言える。

行動の選択肢があるように感じているのは、あなただけ。

だから、プロジェクトを一緒にやってるとなりのおっさんから見たら、あなたはおでこにしわ寄せて、あるいはニヤニヤしながら、前を見てるだけかもしれない。

となりのおっさんにそう言われたら、あなたはちょっとムッとして「ほら、このタスク管理アプリには、次にやる作業の選択肢を2つも書いてある!」って言いたくなるかもしれないけど、となりのおっさんにしてみたらそれは文字に過ぎない。

つまり、おっさんと一緒にやってるプロジェクトのスケールから見たら、何も進んでいない。

アランの言葉を借りると、その選択肢はあなたの希望に過ぎないのだ。

希望に過ぎない選択肢が、あたかも「ある」ようにリアルに感じるのがなぜか。まじめに考えるとほんと不思議。

そのメカニズムのひとつとして、たぶん、あなたが経験したと感じている過去の出来事と、演繹や帰納と呼ばれる論理的なプロセスが関係していると、ぼくは考えている。

具体的には、あなたがこれまでに経験したと感じている出来事、とくに今、目の前にあるのと似たシーンの中で、それを構成する要素が起こった順番と、そこからあなたが何を演繹したり帰納したりしたのかという過去の思い出が、これからの行動の選択肢をリアルな形であなたの目の前に登場させるのではないだろうか。

もちろんみんなが言うように、論理もヘッタクレもなく、降って湧いたように頭に浮かぶ選択肢もある。

でも、それもよく観察してみると、実は論理に裏打ちされたヒラメキであるときも少なくない気がするし、そうでない場合でも、やはり目の前のと似たシーンの思い出が大切な役割を果たしているようにぼくは感じている。

さてここで、始めている仕事のことを考えてみる。

まず、始めている仕事がない場合。

つまり、これから何をするのか選択肢を思い浮かべるための根がない場合、探索する過去の範囲が広大になり、結果的に選択肢を思い浮かべづらくなる。

これが未来の選択肢が膨大にある状況と似たように見えるのが、おもしろいところ。

ところが。

始めている仕事があると、あなたの選んできた選択肢の流れが、事実としてそこに「ある」。

そしてあなたは、その仕事に内在する選択肢の流れを踏まえながら、次に何をするか、行動の選択肢をリストアップしたり、その中から良さそうな選択肢を選ぶことができる。

つまり、仕事を始めていないあなたにくらべ、選択肢を思い浮かべたり、その選択肢を選んだりするために探索しなければならない経験 (したとあなたが感じている) 範囲が一気に小さくなる。

そしてここが大切なのだが、始めている仕事がそこにあることで、あなたは過去の経験からも自由になれる。

言い方を変えると、あなたが選択肢をリストアップしたり選択肢を選ぶための努力を、経験以外に振り分ける余裕が大きくなる。

その結果、すぐには思い浮かばない (あなたの経験にない) 新しい選択肢を創りだす可能性も大きくなると、ぼくは予想している。

始めている仕事に内在する、きのうまでのあなたの選択肢の流れを具体的に踏まえることで、今までのあなたには思いもよらなかった新しい選択肢を創りだす可能性が高くなるのだ。

これが先の記事で、ぼくがフォーカスの効果と呼んだ機能である。