on outline processing, writing, and human activities for nature
『納得の構造』を読み直しました。最初に読んだのはたしか2年前だったと思います。
この本は、米国と日本の作文教育のちがいが、その教育を受けた人たちの「思考表現」にどう影響するかをテーマとした本だと理解しています。
現代(と言ってもこの本が書かれた少し前、1990年代が話題の中心です)の米国と日本の作文教育プログラムを紹介しながら、その歴史も振り返り、それぞれの国の子どもたちの思考表現のちがいがどのようなものか、そのちがいが生まれるプロセスに踏み込んだ内容。
とくに、実際の米国と日本の学校の授業で同じ課題に取り組んでもらい、教員の教え方やそれに対する子どもたちの反応、できあがった文章などを踏まえながら、両国の子どもたちの思考表現のちがいも描き出そうとしている点は、大変興味深いものだと思います。
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米国では様式(ジャンル)の習得、つまり文章の役割に応じてそれぞれちがう型や形式があり、それぞれの書き方のコツ、型や形式を身に着けるための作文教育プログラムが行われていることが紹介されています。
いわゆる解説文の書き方と、自分の感情を相手に伝える文章の書き方、それぞれの様式にあった形式や型、技術を学ぶプログラムです。前者はテクニカルライティング、後者はクリエイティブライティングと呼ばれます。
クリエイティブライティングというとタイソウな印象ですが、たとえばお母さんが親切にしてくれたことへのお礼の手紙も、クリエイティブライティングと捉えます。
ポイントは、文章の役割、言い換えるとなぜその文章を書こうとしているのか、まず自分の目的を自分が理解すること。その上で、何も武器を持たずにその目的に挑ませるのではなく、型という技(わざ)を持たせて、その使い方を学ぶ場づくりを目指している点だと、ぼくは考えています。
では、現代の日本の作文教育はどのようなものか。著者はこう指摘しています。
「日本では、義務教育のみならず高等教育においても、書く技術を目的とした授業がコアカリキュラムに組まれていない」
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日本の作文教育は、なぜ書く技術を学ぶ場として機能しなくなったのか。その問いに対する、著者のアイディアにも興味を持ちました。
まず、明治までは形式とその模倣を重視した、書く技術を学ぶカリキュラムが主流だった。それが大きく変わったのは大正時代。あまりにも形式にはまりすぎた明治のカリキュラムへの反省から、授業内容の改革が進んだ。
その改革が、教員や在野の作家たちを中心に起こったという点に、少しどきどきしました(すごい)。
具体的には、作文(綴り方)の授業を、実用的な書く技術を学ぶ場から、子どもたちの心を育てる場に変えようというものだったとのこと。子どもが「ただ見たまま、聞いたまま、考えたまま」を書き綴る「子どもらしい」「ありのままの真実を綴る作文」。
その背景には、子どもたちの心を育てる場づくりという目的以外の、大人たちの目論見もあったようです。子どもたちが、見たまま聞いたままに事実を書いた文章には、子どもたちからみた生活のようすが語られ、そこでは、学校のある地域のかかえる問題が浮き彫りにされる。それは、地域にくらす教員や他の大人たちが問題を解決する行動を起こすきっかけにもなる。
しかし、時代が昭和へと進み、体制側はこの綴り方授業を危険視するようになり、1940年には教員の一斉検挙が行われ、綴り方の精神は形骸化する。その結果、綴り方の事業は、実用的な書く技術を教わる場でもないけれど、子どもたちの心を育てる場でもないプログラムになる。
「学校作文が学校の中でのみ通用する表現様式に特化する現象も生み出した」「すべての型を壊して見たまま、感じたままに体験を綴ることが奨励された結果、それが選択肢のない唯一の型をつくりあげた」
これらの現象を、著者は学校作文の歴史的パラドクスと呼んでいます。
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この本が書かれたのは2000年代前半ですから、もう20年近く前になります。まず、今の日本の作文教育がどのようなものかが、気になっています。
以前は閉鎖的と思っていた日本も、大きく変わろうとしているように見えます。日本以外の国で生まれ育ち日本語以外の言葉を使う人たちが同じ地域にくらし、その子どもたちが同じ学校で学ぶことが「普通」になろうとしている今、自分たちのアイディアや気持ちを伝えるための文章を学ぶ技術は、日本語を使う人が大多数だった時代とはちがうものになるはずです。
最終章「ポストモダニズムを超えて」では、米国や日本以外の国、フランスや ASEAN の作文教育にも短く触れながら、国際化が進む現代の「思考表現」を支える作文教育とはどのようなものか、著者のアイディアが語られていて、ちょっとワクワクしました。