gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


これはひとつの冒険である

書くための名前のない技術 Case 1』を読み終えた。いわゆるインタビュー本で、読みやすくこなれた文章が、気楽にさらっと一気に読める分量に収まっている。そして、これまでのTak.さんの解説書同様に読みやすくデザインされたアウトライン。

でもぼくは、そういうTak.さんの作品を速読するのではなく、少しずつ読むことにしている。その方が楽しいからだ。センテンスひとつひとつをゆっくり眺めたり、その文節の並びを楽しんだり。このアウトラインのねらいは何だろうと、勝手な考えを巡らせたり。

Tak.さんの解説書の特徴として、オーソドックスに見える構成をとおして伝えられるメッセージ本体のオリジナリティの高さと、そのオーソドックスな構成が、実は分かりやすさのために練りに練られた結果のシンプルさであることが挙げられる。

そのクオリティは、今回のような短めの作品でも十分に感じられる。もしかすると、著者本人は、手を抜いたと思っているところがあるかも知れないけれど..(笑)。

解説書を読む場合、ぼくはまず目次を見て、著者のねらいのようなものの予想を立てながら、自分で読む順番を決める。つまり、目次どおりに頭から読むつもりはあまりない。しっかり読むところ、かるく読み飛ばすところ、ほとんど読まないところの見通しを立て、自分の決めた順番で読む。

(これぞ読者の自由)

もちろん読み始めたら、夢中になってしまい、そういった事前の思惑もヘッタクレもなく、頭から順番に読んでしまうこともあるけれど。

Tak.さんの本の場合、目次を眺めることから始めるけれど(これがまた楽しい)、安心して著者の用意したアウトラインを楽しむつもりで、頭から読み進める。

この Case 1 では、佐々木正悟さんがインタビューのターゲット。本のしかけに沿って読み進めることで、Tak.さんが新しい試みの最初の対象としてなぜ彼を選んだのか、インタビューのねらいが何かが自然と理解できる。シンプルで明快な導入と課題の提示。

核になる「Part 1. 佐々木正悟さんインタビュー」の、まるで二人の声が聞こえてくるような臨場感というか、リアリティを感じる文章はさすが。

勝手に推測すると、生き生きとしたやりとりがそのまま記録されているように見えるけれど、おそらく音声をそのまま文章にしてオシマイ、とはしていないはず。

普通の原稿書きで言えば、推敲に推敲を重ね、もとのやりとりを最大限に生かす形に文章を削りこんでいるのではないか。

一度やった対談のテープ起こし(死語?)アルバイトの経験や、これまでに読んだインタビュー記事や本の文章から予想すると、インタビューや対談などの会話が、このパートの文章ほど論理的に整理された形で進むことはないと、密かに確信している。

インタビューはいくつかの節に分けられ、項目名で内容のポイントを示しながら、この15年間で60冊以上もの本を出版してきた佐々木さんの「すごい」ところが、準備中の本のアウトライン案や書きかけの原稿の一部を交えながら、描き出されていく。

(アウトライン案や書きかけの原稿だけでも、どれだけぼくたちの参考になることか)

そのすべてのパーツをとおして、佐々木さんの佐々木さんらしさが、佐々木さん自身の言葉として語られているように読める。

圧巻のひとつはこのパート最後の節の「書くためのメンタル」だろうか。

文章が書けなくて困ったことは、幼稚園の頃から一度もない。書き上げる文章の理想形などない。一度書き上げたらあとは編集の仕事。自分の文章や構成が大きく変えられることがあっても、自分の伝えたいことが伝わるならそれで構わない。

こうした言葉が、連続して出てくる。

自分の仕事がら、ぼくもこれに似た言葉を実践している人たちに鍛えられてきた。それが如何にアウトプットの多さに繋がるのかも、身をもって学んできた。

正直に書くと、大変残念なことに、ぼくはそのどれにも当てはまらないし、そのやり方が自分に合わないことを、おっさん的にしっかり味わってきた。そもそも、そう言うことを実行したいと考えていない。

だからこそ、今のぼくがある。そのせいもあってか、どうしても(あこがれを感じながらも)こうした言葉を口にする人と、ある程度距離を置いてしまうことが多い。

(ごめんなさい)

しかし、このインタビューの章では、生き生きと語る佐々木さんに対し、少しもその距離を感じなかっただけでなく、親近感まで覚えてしまった。

(何てことだ)

その理由のひとつは、佐々木さんの「すごい」ところだけでなく、ぼくのようなおっさんでも使いたくなるような「名前のない技術」が、分かりやすく具体的に解説されているからである。

(これは使ってみたい..)

もうひとつ、まだ確信はないけれど、淡々とインタビュー起こししたように見える記述の中に、佐々木さんのちょっとした苦労や喜びと言った、良い意味で身近さを感じる言葉が、さりげなく織り込まれていることも大きい気がする。

佐々木正悟さんの本を、今まで以上にたくさん読みたくなったのは、きっとぼくだけではないはず。

後半の「Part 2. 佐々木正悟さんの『書くための名前のない技術』」では、インタビューをとおして解きほぐされた佐々木さんの「名前のない技術」が、著者ならではの視点をベースに、シンプルな論理的構成で解説される。

個人的には、この短い章だけでも一冊の本にする価値があり、実際にそれに相応するだけの努力が注ぎ込まれた文章のように感じる。文章を書く技術に興味があり、その要点を知りたい人は、もしかするとこの後半を眺めるだけで満足できるかも知れない。

また、それとは逆に、佐々木さんの作品を読みつづけてきたファンの人たちは、前半のインタビュー部分を一気読みして、後半で書かれていることなんて分かってるよと思うかも知れない。

しかし、本書のすべてをとおして読むことで、この二つの要素が合わさることでしか分からない、個性と普遍性、小さな技術と大きな人生の相乗効果の醍醐味を味わうことができる。

この相乗効果は、アウトライナーという道具と文章を書くという営みに魅せられ、オリジナリティあふれる視点をもったTak.さんだからこそ描くことのできるものである。

読み終えたあと、ぼくは、ひとつの冒険につきあったような気持ちになった。

15年間に60冊以上もの本を出しつづけてきた著者、佐々木正悟という未知の世界に挑み、佐々木さんが彼自身のためにつくりあげてきた「名前のない技術」という小さな宝物を探し出す冒険に。

嬉しいことに、たぶんTak.さんはこの冒険をつづけるようだ。彼が次にどのような未知の世界を探検場所として選び、何を見つけてくるのか。

それもまた大きな楽しみのひとつであり、おそらく意外な人たちも登場するのではないかと期待している。

何冊かが出版されたあと、ぼくたちはそれらの本を合わせて読むこともあるだろう。そこでぼくたちは、ひとつひとつの冒険の足し算の結果では説明できない、相乗的なもの、より大きな冒険の醍醐味を味わうことになるのではないか。

そう言う大きなねらいまで期待してしまうような、小さくて気楽に読める、楽しい一冊である。

この本は、ひとつの冒険である。そして、たくさんの冒険の始まりを予感させる一冊でもある。