この1年間、何度も役に立った言葉のひとつに「意思を持って流れに乗る」がある。おととしの秋に公開された記事「意思を持って流れに乗り、扉を開いて通過させる」にあったもの。
必要なことは、状況の変化や感情の波に押し流されるのではなく、かといって流されまいとしがみつくのでもなく、意思を持って流れに乗ること (Word Piece by Tak.)
大きな締切が3つも4つも重なったときのように少し厳しい状態で、あとで思い返すと正しかったと思えるような判断をすることに役立った。ぼくのような、どちらかと言うと計画通りに作業を進めるのが苦手(というか、たぶん嫌い)な者にとって、とくに有効な考え方だと思う。
なので、お礼の気持ちもこめて、その理由を整理してみた。まずはもう一度、もとの記事をゆっくり味わいなおしてほしい。
この「流れに乗る」の記事に出てくる「状況の変化」とは、自分の体があって、その体の外側にあるものや出来事が思っていたのとはちがう方向に変わること。たとえば、上司から数日かかる仕事を引受けたばかりと言うのに、部下が放っておけない大失敗をしたり、30分後に会議があるというのに、飛び乗った電車が事故で動かなくなったり。多くの場合、直接あなたが原因ではないにも関わらず、間に合わなかった責任はあなたに降りかかる。なぜ、俺の責任になるんだと理不尽を感じつつも、「締切に間に合わせたり、約束の時間に間に合わせるというルールを守るのが立派な社会人」という考え方を受け入れている人も、多いだろう(ぼくもそうかもしれない)。
一方、この記事に出てくる「感情の波」とは、自分という体の内側(脳)で起こる出来事。でも、思い出してみると実のところ、感情というのもマイペースな上司やおっちょこちょいの部下、遅れてばかりいる電車(本当はそれほどでもないかも..)と同じくらい、自分の思い通りにならないもので、自分の考えとはちがう方向に変化することが多い。
たとえば、つい30分前に処理したばかりの電子メールの受信箱を確認したくて仕方ない気持ちが大きくなったり、今晩から始めないと間に合わない仕事を、先送りにしたくて仕方なくなったりする気持ちなど。この感情については、自分の体の内側のできごとが原因だから自分の責任だと考える人は、状況の変化の場合よりもずっと多いだろう。
しかしぼくの理解だと、少なくともぼくの好きなDescartesやSpinozaのような近代西欧哲学の初期の人たちは、この感情の波も「自分」の外側にあり、「自分」でコントロールできない現象だととらえている(余談だけど、それを魅力的な文学仕立ての言葉で表現し、かつ近代化したのが、フランスで高校の哲学教員をしていたAlain。日本では『幸福論』だけ有名になりすぎたのが、少し残念)。
だから、その外側にある感情の波も、体の外の出来事と同じようにコントロールしようとするのではなく、それに支配されない技術を考えることが重要になる。
「意思をもって流れに乗る」というメッセージには、この感情の波も完全にはコントロールできない流れととらえ、それをコントロールしようとするのではなく、無数にある状況と感情の流れを観察し、今、目の前にある流れのひとつを、意思をもって選択することの大切さが明示されている。この点で、たとえばGTDなどの仕事術でよくみかける、優先順位を決めることだけを重視する考え方よりも、ダイナミックな上位階層を強く意識したメッセージだと、ぼくは考えている。
「優先順位をつけろ」も、何かを選択するという点では「流れに乗る」と同じである。だが、その優先順位をつける対象がちがう。GTDなどで優先順位をつける究極の単位は、おそらくプロジェクトとタスクだ。
あるひとつのタスクを選び、そのタスクをこなすことに集中することは、仕事を進める上で、有効な基本技術だと思う。しかし、流れを見ずに目の前にあるタスクだけをみて、タスクに優先順位をつけると、たとえば感情の流れを無視した選択をすることになる可能性もある。
また、タスクの集まりであるプロジェクトを意識することは、プロジェクト達成のために必要な一連のタスクを列記する点で、より流れに近いものを意識できる。しかし、多くのプロジェクトでは目標が設定されている。そして、その目標達成の可能性をもっとも高くし、ゴールに一番効率よくたどりつく一連のタスクが優先される。流れを意識している点ではすばらしいが、もしプロジェクトの目標という点だけは固定されていると考えているなら、そこに無理がある。
目標という点だけを特別あつかいし、固定したものととらえていい根拠はない。固定しないと困るという、こちらの事情は根拠にはならない。プロジェクトという枠も、多くの場合目標に依存して決まる。だからそのプロジェクトも、目標と同じように、固定したものと思い込んではいけない。
仕事に振り回されていると感じたり、締め切りに追われていると感じることは、ぼくたちがゴールを固定されたものと思い始めた兆しである。だからそんなときは、まず立ちどまろう。おいしい珈琲でもいれながら深呼吸し、青い空でも見上げながら、自分の流れを眺めよう。自分の感情の波も含めた、自分をとりかこむ環境すべての流れを観察しよう。
もちろん、人が遥か地平の流れまでを見通すことは、とても難しい。だから、観察するのは、自分が見渡せる範囲の流れでいい。見える範囲の流れを理解して、その少し先までの予想を楽しんだりしながら(でもそれはあくまで予想であることを自覚するのも大切)、自分が納得するものを選ぶのだ。
流れに逆らおうとすると、つまり、状況を無視したり、がっかりしている自分の感情を無視したりすると、やがて流れに押し流されることになる。たまたまゴールにたどりつくこともあるかも知れないけれど、それはあくまでも偶然だ。
目標やプロジェクトという上位構造を設定しなくても、流れを見ることはできる。そして、自分の行き先を、変化しつづける流れの中にダイナミックにとらえるのだ。