gofujita notes

on outline processing, writing, and human activities for nature


夏の日曜日の朝、20分間スケッチ

朝8時過ぎ、彼女はボランティアのためにかつて職場だった保護区の森へ、かれこれ20年以上乗っているモンキーで出かけた。あの、4ストロークの静かな音といっしょに。ヘルメットはくたびれてきた Arai のフルフェイスで、色はワインレッド。これも彼女のお気に入り。

そのうしろ姿が角を曲がるまで見送ったあと、部屋にもどって掃除機をかけながら、いつものカフェへ行くことを決める。できることなら、昼までに雑誌編集のしごとを終わらせたいけど、できるかな。

玄関のドアをあけると、彼女がドアにぶらさげたベルが鳴る、からんからん。そして、外の熱気とセミの声。

ぼくたちのうちは、10世帯でできた2階だてのテラスハウスにあり、テラスハウスは車がやっととおれる路地に向かってたっている。路地と玄関のあいだには、それぞれのうちに2台ずつの駐車スペース。ぼくたちの玄関前には、小さなミニが1台だけ、贅沢にとめてある。

きのうの昼前だったかな、夏の日差しが戻ってきた。空は、雲ひとつない、まぶしい夏の青空。前をとおる道を、今朝は誰も歩いていない。

人ひとりがやっととおれる路地に入り、ああ、この角にテイカカズラの白い花がさいていたのはもうふた月前だったかと思いながら右へまがり、別の細い路地とぶつかったところを左へまがる。

キジバトが、路地を囲む家の上を滑らかに飛ぶ。つばさの地面がわにある模様も、はっきり見える。屋根の照り返しが、キジバトのつばさにも届くのだろう。方向を変えるとき、空がわにあった模様がこちらに向いて、尾羽の先の白い帯が空の青に映えて眩しい。これも、夏の強い日差しのおかげ。

ニュースでは、例年より涼しいとか、例年より雨が多いとか、少ないとか。よく例年とのちがいが大事にされるけれど、少なくとも今朝の、キジバトの翼には夏の日差しがあった。

それでいいじゃないかと思う。だいたい、例年ってなんなんだと、たまに考えたりする。

線路沿いを駅へ向かう道にでて、視界がひらける。小さな谷の対岸のはっきりした森の緑に太陽が反射している。広いわけではないので、好んでこの道をはしる車は少ない。まっすぐな道300メートル先には、小さな駅の入り口が見える。

道は北へ向かっていて、まだ朝だから、太陽の光は右からアスファルトの表面を照らす。道の右半分、はっきりとでこぼこに、道沿いにある垣根や庭の木の影がつづく。

そして道にはだれもいない。だれもいない影のはっきり映った道を、駅へ向かって歩く。

目の前にある夏は、例年と同じだろうがちがっていようが、ぼくにとってはリアルな夏である。

ニイニイゼミの高音を背景に、ミンミンゼミの声が響く。