スケッチすることが好きで、意識的につづけている。描くスケッチも多いけれど、書くスケッチも多い。記録ではないので、無理に保管しない。ぼくにとってスケッチは、瞬間を切りとる練習。
スケッチするのは、たとえば朝、椅子にすわって深呼吸したら、窓からみえるコナラの葉が、風で揺れたとき。
あるいは、初めていったとおくの駅で電車をまっていたら、近くを走る路面電車の音が聞こえてきたとき。
そして、夏の終わりの島。家族しかいない磯の岩山、そのはるか向こうに、となりの島の崖が白く、青い海の上に映えていたとき。
描きながら、自分の頭のなかにも描くような感じ。そうすることで、その瞬間がすぎても、頭のなかの絵をなぞることができる。だからスケッチは、本当のしるしがみえたときに、それを逃さないための訓練になる。
Henry Thoreau は言った。
私は過去と未来という、ふたつの永遠が出会うところ ーまさにいまこの瞬間ー に立とう、その線上に爪先で立とうとした [1]。
ぼくにとってスケッチとは、瞬間に爪先立ちするための練習である。